アトリエ・コスモスのアートセラピー色彩日記
http://blog.aa-cosmos.com
色彩は「もう一つの心の言葉」です。
色は私たちの感情や記憶と深くむすびつきながら日々を豊かに彩り、心身に様々な作用を及ぼしています。色を使った表現を通して心を元気にしたり自分らしさを育てたりするアートセラピーを社会に活かしていきたいと思っています。
ja
turu
2017-05-08T14:32:44+09:00
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ゴールデンウイーク終わりました
http://blog.aa-cosmos.com/e439107.html
ゴールデンウイーク、いろんな所へ出かけた人も多いことでしょう。
私は、先月四月に肺炎で入院の後、無事退院した父と少々看病疲れの残る母を訪ねて富山の実家に帰りました。
めずらしく次男も時間をつくってくれて私と一緒に一泊してきました。
次男は現在東京でイラスト等の仕事をしていますが、富山県生まれの東京育ち。
2歳になる前に東京に来て、富山の記憶がほとんどないものの、出身地を聞かれると「富山県」と答えねばなりません。
次男にすればそのことに少なからず違和感を感じるのか、祖父母のいるこの地域に自分なりの「縁」を感じたいという思いがあるようで、わりと気軽に同行してくれます。
私も富山を離れ、東京暮らしの方が長くなったけれど、東京で富山県の人に会うと、なんとなくその人のことを半分わかったような気分になるから不思議です。あの同じ風景、同じ食べ物を知ってると思うと自然に親しみが湧きます。郷里があるというのはそういうことなのですね。
87歳の父は医者も驚くほどの驚異的な回復力でほぼほぼ元気にしていました。そのおかげか母も頭は以前会ったときよりずっとハッキリ。老いは感じるものの、これならしばらく二人でがんばってくれそうで一安心。脱水症状にならぬよう時間をきめてお茶を飲み、陽の傾く前に近所を散歩するという日課をきっちり守り努力していることに、尊敬の念さえおぼえました。
そして今回はせっかくのゴールデンウイーク。
ちょっと観光もかねて以前から行ってみたかった「富山市ガラス美術館」を訪ねました。
新幹線の整備で駅周辺はすっかり知らない街になってしまうほどの変化のなかで、ここ総曲輪(そうがわ)周辺は、少しはレトロな感じも残るところです。とはいえ記憶のなかの書店も画材店も喫茶店もなかったなあ。あたりまえだけど長い時の流れを感じます。
隈研吾氏の設計デザインの現代的な美術館はなかなかすてきでした。
すこしづつ斜めに6階まで吹き抜けになっている広大なフロアは圧巻です。でも、その高い吹き抜けに足元がなんだかゾクゾク(高い所は苦手なので)。空間を切り取る斜めのラインに五感が刺激されて異空間に踏み入れた感じ。解放感ある広さのなかで、内装の木(羽板)のぬくもりと不思議な「不安定感」を行きつ戻りつする感覚につつまれてしまいました。(私だけ?)
現代は、美術館の建築そのものや、周辺環境も含めて芸術を感じる視点がさまざまに試みられています。
富山市ガラス美術館もガラスを中心に、その外観にたがわぬ、現代的実験的な展示も企画されていくでしょう。
今回は「平山郁夫とシルクロードのガラス展」という企画展で、古代メソポタミア文明からという、紀元前いったい何千年という時代のガラスの器も多数見てきました。
そんな時代からこんな器を作っていたなんて、想像力もおいつかない遥かなはるかな「いにしえ」です。人ってすごい!
街に田舎にいろいろ感じ、両親ともいろいろ語り合うことのできたゴールデンウイークでした。
私は、先月四月に肺炎で入院の後、無事退院した父と少々看病疲れの残る母を訪ねて富山の実家に帰りました。
めずらしく次男も時間をつくってくれて私と一緒に一泊してきました。
次男は現在東京でイラスト等の仕事をしていますが、富山県生まれの東京育ち。
2歳になる前に東京に来て、富山の記憶がほとんどないものの、出身地を聞かれると「富山県」と答えねばなりません。
次男にすればそのことに少なからず違和感を感じるのか、祖父母のいるこの地域に自分なりの「縁」を感じたいという思いがあるようで、わりと気軽に同行してくれます。
私も富山を離れ、東京暮らしの方が長くなったけれど、東京で富山県の人に会うと、なんとなくその人のことを半分わかったような気分になるから不思議です。あの同じ風景、同じ食べ物を知ってると思うと自然に親しみが湧きます。郷里があるというのはそういうことなのですね。
87歳の父は医者も驚くほどの驚異的な回復力でほぼほぼ元気にしていました。そのおかげか母も頭は以前会ったときよりずっとハッキリ。老いは感じるものの、これならしばらく二人でがんばってくれそうで一安心。脱水症状にならぬよう時間をきめてお茶を飲み、陽の傾く前に近所を散歩するという日課をきっちり守り努力していることに、尊敬の念さえおぼえました。
そして今回はせっかくのゴールデンウイーク。
ちょっと観光もかねて以前から行ってみたかった「富山市ガラス美術館」を訪ねました。
新幹線の整備で駅周辺はすっかり知らない街になってしまうほどの変化のなかで、ここ総曲輪(そうがわ)周辺は、少しはレトロな感じも残るところです。とはいえ記憶のなかの書店も画材店も喫茶店もなかったなあ。あたりまえだけど長い時の流れを感じます。
隈研吾氏の設計デザインの現代的な美術館はなかなかすてきでした。
すこしづつ斜めに6階まで吹き抜けになっている広大なフロアは圧巻です。でも、その高い吹き抜けに足元がなんだかゾクゾク(高い所は苦手なので)。空間を切り取る斜めのラインに五感が刺激されて異空間に踏み入れた感じ。解放感ある広さのなかで、内装の木(羽板)のぬくもりと不思議な「不安定感」を行きつ戻りつする感覚につつまれてしまいました。(私だけ?)
現代は、美術館の建築そのものや、周辺環境も含めて芸術を感じる視点がさまざまに試みられています。
富山市ガラス美術館もガラスを中心に、その外観にたがわぬ、現代的実験的な展示も企画されていくでしょう。
今回は「平山郁夫とシルクロードのガラス展」という企画展で、古代メソポタミア文明からという、紀元前いったい何千年という時代のガラスの器も多数見てきました。
そんな時代からこんな器を作っていたなんて、想像力もおいつかない遥かなはるかな「いにしえ」です。人ってすごい!
街に田舎にいろいろ感じ、両親ともいろいろ語り合うことのできたゴールデンウイークでした。]]>
出かけました
暮らし
turu
2017-05-08T14:32:44+09:00
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情報社会、私ついていけるかな?
http://blog.aa-cosmos.com/e434041.html
今年もアトリエ元気に始まりました。
冬休みはアトリエもお休みなので、始まるのを楽しみにしていたという声をきくと、嬉しくなります。
今年もよろしくお願いします。
アトリエのことではないのですが、年明け早々にちょっとしたトラブルに見舞われました。
先日突然MACのメールがつかえなくなったのです。
「ああ、新しいサービスに切り替えるよう言ってきてたなあ、苦手意識から何年もそのままにしていたっけ」と落ち込みつつ、あれこれネットで調べるもラチがあかず、サポートセンターに電話しました。
今使っているMACは2008年購入、2011年には修理の必要もありその時の最新バージョンにアップしています。だから、古いけどまだまだ5年くらいと思っていました。けれど、一般の家電ならまだしも、コンピュータの5年前の機種は消えたも同然、サポート対象の領域にも入ってませんでした。
「本来は別の窓口をご紹介するのですが・・・、まあ、やってみましょう」とサポーターの方。
それからマックを立ち上げ、画面を見ながら、最初は固定電話の子機で30分。充電が切れそうになって携帯にかえてから更に約1時間。サポートセンターの方が実に実に辛抱強くあれこれと出来る限りのことを指示、なんとか解決しようと、懸命にリードしてくれました。
1時間半もですよ!
何がネックってとにかくソフトも古いので、必要なWEBサイトも相手と同じようには見えておらず、解決するためのソフトがダウンロードできなかったり、指示された選択ポイントが無かったり。
今使ってるウインドウズのほうが新しいのでそちらで「画面共有」という設定をし、サポーターの手元で私の画面を見ながら教えてくれたり(すごい、そんなことも出来るのね!)、まあいろいろ初めてのことに戸惑ったり感心したり、そしてなんとかアドレスにかかるロックをはずせそうというところまでいっても、私の生年月日がうまく入らなかったり画像認証がなんどもはねられたり・・・で、で、そこまでして・・・・結局、あきらめました。
サポートしてくれた人も悔しそうに、電話の向こうで唸っていて、なんとか解決しようというその知識とサポーター魂には本当に頭のさがる思いでした。サクサク操作できない中高年と古いMACにつきあうこと1時間半、現在の最新バージョンでないことの壁の数々。
ネット社会の中で、これからも新しいものはすぐに古くなり、情報もなにも有効な期間はどんどん短くなっていくでしょう。
そんな時代を私たちは生きていけるのだろうか、不安にかられました。
一方で、どんなに人口知能が発達しても、こうやってわかんないことはやっぱり人に教えてもらわねばなりません。
あらゆる年齢のあらゆる立場の人がコンピュータをつかい、トラブルにあうとき、聞いてほしいし説明してほしい。それはどうなっていくのでしょう。
今回は、これまでのMACのアドレスを使うことをスッパリ諦め、無料のネットメールのアドレスを取って、アカウントを作り直しました。なんだかんだでほぼ一日を費やし疲れました。(諦めたことは気分も変わって良かったです)
でも困難なことが新年の早くにやってきて早く去ったというのは良いことかも。
情報が溢れる中、超アナログで、手間ひまかかる自由創作のアトリエの子どもたちを見ていると、ほんとに身体の内側から力が湧いてくる感じがします。自分感覚、自分情報を溜めているように見えます。自分の中の事実だけを積み重ねていく体験は、やがて個としての全体像につながり生きるエネルギーになると信じています。
今年も子どもたちの作品がとても楽しみです。
色水遊びをいっぱいした後、描いた作品。一年生の女の子。開放感が味わえたのか明るいです。
今年もアトリエ元気に始まりました。
冬休みはアトリエもお休みなので、始まるのを楽しみにしていたという声をきくと、嬉しくなります。
今年もよろしくお願いします。
アトリエのことではないのですが、年明け早々にちょっとしたトラブルに見舞われました。
先日突然MACのメールがつかえなくなったのです。
「ああ、新しいサービスに切り替えるよう言ってきてたなあ、苦手意識から何年もそのままにしていたっけ」と落ち込みつつ、あれこれネットで調べるもラチがあかず、サポートセンターに電話しました。
今使っているMACは2008年購入、2011年には修理の必要もありその時の最新バージョンにアップしています。だから、古いけどまだまだ5年くらいと思っていました。けれど、一般の家電ならまだしも、コンピュータの5年前の機種は消えたも同然、サポート対象の領域にも入ってませんでした。
「本来は別の窓口をご紹介するのですが・・・、まあ、やってみましょう」とサポーターの方。
それからマックを立ち上げ、画面を見ながら、最初は固定電話の子機で30分。充電が切れそうになって携帯にかえてから更に約1時間。サポートセンターの方が実に実に辛抱強くあれこれと出来る限りのことを指示、なんとか解決しようと、懸命にリードしてくれました。
1時間半もですよ!
何がネックってとにかくソフトも古いので、必要なWEBサイトも相手と同じようには見えておらず、解決するためのソフトがダウンロードできなかったり、指示された選択ポイントが無かったり。
今使ってるウインドウズのほうが新しいのでそちらで「画面共有」という設定をし、サポーターの手元で私の画面を見ながら教えてくれたり(すごい、そんなことも出来るのね!)、まあいろいろ初めてのことに戸惑ったり感心したり、そしてなんとかアドレスにかかるロックをはずせそうというところまでいっても、私の生年月日がうまく入らなかったり画像認証がなんどもはねられたり・・・で、で、そこまでして・・・・結局、あきらめました。
サポートしてくれた人も悔しそうに、電話の向こうで唸っていて、なんとか解決しようというその知識とサポーター魂には本当に頭のさがる思いでした。サクサク操作できない中高年と古いMACにつきあうこと1時間半、現在の最新バージョンでないことの壁の数々。
ネット社会の中で、これからも新しいものはすぐに古くなり、情報もなにも有効な期間はどんどん短くなっていくでしょう。
そんな時代を私たちは生きていけるのだろうか、不安にかられました。
一方で、どんなに人口知能が発達しても、こうやってわかんないことはやっぱり人に教えてもらわねばなりません。
あらゆる年齢のあらゆる立場の人がコンピュータをつかい、トラブルにあうとき、聞いてほしいし説明してほしい。それはどうなっていくのでしょう。
今回は、これまでのMACのアドレスを使うことをスッパリ諦め、無料のネットメールのアドレスを取って、アカウントを作り直しました。なんだかんだでほぼ一日を費やし疲れました。(諦めたことは気分も変わって良かったです)
でも困難なことが新年の早くにやってきて早く去ったというのは良いことかも。
情報が溢れる中、超アナログで、手間ひまかかる自由創作のアトリエの子どもたちを見ていると、ほんとに身体の内側から力が湧いてくる感じがします。自分感覚、自分情報を溜めているように見えます。自分の中の事実だけを積み重ねていく体験は、やがて個としての全体像につながり生きるエネルギーになると信じています。
今年も子どもたちの作品がとても楽しみです。
色水遊びをいっぱいした後、描いた作品。一年生の女の子。開放感が味わえたのか明るいです。
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アトリエ・コスモス
暮らし
turu
2017-01-09T16:52:56+09:00
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ヤングコーンって?
http://blog.aa-cosmos.com/e424624.html
私は実は料理も好きで、時々新しいレシピや食材にチャレンジしたりしています。
色どりを考えるのも楽しいし、切ったり煮たりいろいろ変化させてる過程がおもしろいのです。
食べることが好きだからというのもありますが、私にとっては「子どもの頃の粘土細工」と同じ感覚かもしれません。
自分の子どもがまだ小さく手のかかる時も、仕事がすごく忙しくて寝る暇もないようなときも、それでも何か作りたいと思ってました。
今のようにアトリエなどもまだ始めていなかったとき、ホントに、料理というより加工している作業に救われてる感じでした。
自営業で、若いころは逃げ場のないような感覚に辛くなる時もありました。料理をするというのは、私にとっては堂々と一人の時間と空間を持てるほっとする場だったのかな、とも思います。
高齢化社会の今、料理をすることは、高齢者の生活の質を上げ認知症予防にもつながると言われています。
食材の皮をむいたり切りそろえたりという「分解していく作業」と、それらを包んだり煮込んだり味を加えたりという「統合していく作業」がバランス良く脳に刺激をあたえてくれるからだと思います。手を動かすこと、プロセスを考えること、おしゃべりしながら食べることが心理的にもどれほどプラスになるかは言うまでもありません。
私も、無理のないところで長~く楽しんでいけたらなと思います。
先日近所の吉野さんの農園で「ヤングコーン」を売っていたので、めずらしいなと思って買いました。
実は皮つきのヤングコーンは初めて。
で、ヤングコーンって普通に売ってる大きなトウモロコシの若芽、摘果だったのね!!
知らんかったわ~。(^_^;)
ヤングコーンという別の種類の野菜だと思ってました。
だってむいてきれいにパックされてるのしか見たことなかったし。
意外と知らないことだらけの毎日。でもむきたての小さなコーンは甘みもあって本当においしかったです。
ひげも食べられるそうです。今度はぜひ食べてみたいです。
料理も好きで、時々新しいレシピや食材にチャレンジしたりしています。
色どりを考えるのも楽しいし、切ったり煮たりいろいろ変化させてる過程がおもしろいのです。
食べることが好きだからというのもありますが、私にとっては「子どもの頃の粘土細工」と同じ感覚かもしれません。
自分の子どもがまだ小さく手のかかる時も、仕事がすごく忙しくて寝る暇もないようなときも、それでも何か作りたいと思ってました。
今のようにアトリエなどもまだ始めていなかったとき、ホントに、料理というより加工している作業に救われてる感じでした。
自営業で、若いころは逃げ場のないような感覚に辛くなる時もありました。料理をするというのは、私にとっては堂々と一人の時間と空間を持てるほっとする場だったのかな、とも思います。
高齢化社会の今、料理をすることは、高齢者の生活の質を上げ認知症予防にもつながると言われています。
食材の皮をむいたり切りそろえたりという「分解していく作業」と、それらを包んだり煮込んだり味を加えたりという「統合していく作業」がバランス良く脳に刺激をあたえてくれるからだと思います。手を動かすこと、プロセスを考えること、おしゃべりしながら食べることが心理的にもどれほどプラスになるかは言うまでもありません。
私も、無理のないところで長~く楽しんでいけたらなと思います。
先日近所の吉野さんの農園で「ヤングコーン」を売っていたので、めずらしいなと思って買いました。
実は皮つきのヤングコーンは初めて。
で、ヤングコーンって普通に売ってる大きなトウモロコシの若芽、摘果だったのね!!
知らんかったわ~。(^_^;)
ヤングコーンという別の種類の野菜だと思ってました。
だってむいてきれいにパックされてるのしか見たことなかったし。
意外と知らないことだらけの毎日。でもむきたての小さなコーンは甘みもあって本当においしかったです。
ひげも食べられるそうです。今度はぜひ食べてみたいです。
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暮らし
turu
2016-06-06T14:12:28+09:00
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カラフルでいいな、ランドセル
http://blog.aa-cosmos.com/e419016.html
陽ざしが温かいなあと思って外にでると、風は思いのほか冷たくて・・・。
まだまだ寒い冬の日が続いています。
一方で急激に陽の角度が高くなっていく2月は、冷たさの中にも太陽の光の強さを感じる季節です。
1月の弱い陽ざしに比べると、木々の枝にも小さなつぼみが並び光溢れる2月は景色の色合いも増す気がします。
春が待ち遠しいです。
先日、ランドセル売り場の前を通ったとき、その色の多さに思わず足をとめてしまいました。
ここ2、3年でしょうか。ランドセルがずいぶんカラフルになってきました。
私たちの時代も、その子どもたちの時代も、ランドセルと言えば女の子は赤、男の子は黒と決まっていました。
そして特に疑問を感じることもなく「そんなものだ」と思っていたように思います。
服や靴の色とは違って、ランドセルやお道具箱といった学校使用のものは、そもそも選択できる色に入っていませんでした。
男だ女だと言う前に、「私」が私の人生の主人公なのだと思っていても、まるで記号のように意味付けされた色や社会的慣習からなかなか自由になれませんでした。
ランドセルの多様なの色が逆にそのことを教えてくれます。
色数が多いというのはそれだけ自由の幅もひろがるということ。
これからの子どもたちが学校という社会に入っていくとき、多少でもランドセルの色を選べるのはとてもいいことだと思います。
毎日使うものなのだから、せめて気持ちに合う色にできたら、それだけでも心は軽くなるでしょう。
「早く買わないと好きな色がなくなっちゃうよ」というのはキャラメル色のランドセルを持っている2年生の女の子。
「私はローズ色」というのは3年生。
「俺らのときは普通に赤とか黒しかなかったような・・・」というのは5年生の男子。
アトリエでのそんな会話を聞いていると、ランドセルの多色化は、やっぱりここ最近の傾向のようです。
それにしても黄色系が無いのはなぜでしょう。
幼稚園や保育園のバッグやリュックによく使われているからかな。
全体におちついた淡いトーンが多いのも、子どものニーズと言うよりは大人の志向を感じます。
これから先、ランドセルの色やデザインの幅は今以上に広がっていくでしょうか。
さまざまな多様性を認め向き合っていくことが大切になっていく社会で、色の選択肢もどんどんひろがっていってほしいと思います。
まだまだ寒い冬の日が続いています。
一方で急激に陽の角度が高くなっていく2月は、冷たさの中にも太陽の光の強さを感じる季節です。
1月の弱い陽ざしに比べると、木々の枝にも小さなつぼみが並び光溢れる2月は景色の色合いも増す気がします。
春が待ち遠しいです。
先日、ランドセル売り場の前を通ったとき、その色の多さに思わず足をとめてしまいました。
ここ2、3年でしょうか。ランドセルがずいぶんカラフルになってきました。
私たちの時代も、その子どもたちの時代も、ランドセルと言えば女の子は赤、男の子は黒と決まっていました。
そして特に疑問を感じることもなく「そんなものだ」と思っていたように思います。
服や靴の色とは違って、ランドセルやお道具箱といった学校使用のものは、そもそも選択できる色に入っていませんでした。
男だ女だと言う前に、「私」が私の人生の主人公なのだと思っていても、まるで記号のように意味付けされた色や社会的慣習からなかなか自由になれませんでした。
ランドセルの多様なの色が逆にそのことを教えてくれます。
色数が多いというのはそれだけ自由の幅もひろがるということ。
これからの子どもたちが学校という社会に入っていくとき、多少でもランドセルの色を選べるのはとてもいいことだと思います。
毎日使うものなのだから、せめて気持ちに合う色にできたら、それだけでも心は軽くなるでしょう。
「早く買わないと好きな色がなくなっちゃうよ」というのはキャラメル色のランドセルを持っている2年生の女の子。
「私はローズ色」というのは3年生。
「俺らのときは普通に赤とか黒しかなかったような・・・」というのは5年生の男子。
アトリエでのそんな会話を聞いていると、ランドセルの多色化は、やっぱりここ最近の傾向のようです。
それにしても黄色系が無いのはなぜでしょう。
幼稚園や保育園のバッグやリュックによく使われているからかな。
全体におちついた淡いトーンが多いのも、子どものニーズと言うよりは大人の志向を感じます。
これから先、ランドセルの色やデザインの幅は今以上に広がっていくでしょうか。
さまざまな多様性を認め向き合っていくことが大切になっていく社会で、色の選択肢もどんどんひろがっていってほしいと思います。]]>
アトリエ・コスモス
暮らし
turu
2016-02-10T13:09:21+09:00
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初乗車、北陸新幹線
http://blog.aa-cosmos.com/e411932.html
北陸新幹線、初乗車です。おもわず子どもみたいにワクワクしてカメラを向けてしまいました。
これが、新幹線富山駅・・・・。東京からわずか2時間。
以前の痕跡をなにひとつ残さぬ姿に、過去の記憶のいろいろがかき消されてしまうかのような感覚に・・・。
体調を崩していた母の様子見に実家にかえりました。意外と元気そうでほっとしました。
母に杖を買っていきましたが、気持に少し抵抗があるようでした。身体を守るものなので、だんだんに慣れてほしいと思います。
翌日、ホームで見送りたいという両親をやんわり説得して改札でお別れ。東京へ。
時代はどんどん進み、地域もこの国もどんどん変わります。
時間を戻すことはできないから、人生の時間は絶えず「上書き保存」を忘れずに。新たな日々を更新します。
北陸新幹線、初乗車です。おもわず子どもみたいにワクワクしてカメラを向けてしまいました。
これが、新幹線富山駅・・・・。東京からわずか2時間。
以前の痕跡をなにひとつ残さぬ姿に、過去の記憶のいろいろがかき消されてしまうかのような感覚に・・・。
体調を崩していた母の様子見に実家にかえりました。意外と元気そうでほっとしました。
母に杖を買っていきましたが、気持に少し抵抗があるようでした。身体を守るものなので、だんだんに慣れてほしいと思います。
翌日、ホームで見送りたいという両親をやんわり説得して改札でお別れ。東京へ。
時代はどんどん進み、地域もこの国もどんどん変わります。
時間を戻すことはできないから、人生の時間は絶えず「上書き保存」を忘れずに。新たな日々を更新します。
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出かけました
暮らし
turu
2015-09-25T10:35:48+09:00
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立山、室堂2500mの世界
http://blog.aa-cosmos.com/e393212.html
17、18、19日は富山へ帰省し、昨日東京にもどりました。
今回は中一日だけの帰省でしたが、84歳になる私の父の提案で、立山の弥陀ヶ原で一泊、翌日は、室堂まで足をのばし、2500mの雄大な山の自然を満喫しました。
弥陀ヶ原は、標高1930m、日本最高地にある湿原です。
17日は小雨だったものの、夜にはホテルの窓から遠く富山平野の夜景を望むことができました。
翌朝、高原バスで室堂へ。
平野部の天候は不安定だったものの、2450mの室堂は清々しい青空に。
目の前には圧倒されるような山岳の絶景が広がります。
今回は私と夫と次男、そして共に84歳の私の両親の5人。帰省中に山で泊るのは初めてです。
背中や腕の骨折を経験している母は、いくら散策道が整備されていると言ってもさすがに歩くことはできません。
父と高原のホテルのラウンジで、窓越しに山を楽しんでもらい、その間私たち3人は1時間ほどのコースを歩いてきました。
こんな雲の上の高地まで、ケーブルカーや高原バスでこんなに簡単にアクセスできるなんて驚きです。
でもそのおかげで母のような高齢者や子どもたち、障害のある人など、多くの人が楽しめるようになっているのは本当に素晴らしいと思います。
高齢で足腰に問題を抱えた母が、一緒に歩くことはできなくても山へは行きたいというその意欲が、娘として本当に嬉しかった。
心に残る夏になりました。
17、18、19日は富山へ帰省し、昨日東京にもどりました。
今回は中一日だけの帰省でしたが、84歳になる私の父の提案で、立山の弥陀ヶ原で一泊、翌日は、室堂まで足をのばし、2500mの雄大な山の自然を満喫しました。
弥陀ヶ原は、標高1930m、日本最高地にある湿原です。
17日は小雨だったものの、夜にはホテルの窓から遠く富山平野の夜景を望むことができました。
翌朝、高原バスで室堂へ。
平野部の天候は不安定だったものの、2450mの室堂は清々しい青空に。
目の前には圧倒されるような山岳の絶景が広がります。
今回は私と夫と次男、そして共に84歳の私の両親の5人。帰省中に山で泊るのは初めてです。
背中や腕の骨折を経験している母は、いくら散策道が整備されていると言ってもさすがに歩くことはできません。
父と高原のホテルのラウンジで、窓越しに山を楽しんでもらい、その間私たち3人は1時間ほどのコースを歩いてきました。
こんな雲の上の高地まで、ケーブルカーや高原バスでこんなに簡単にアクセスできるなんて驚きです。
でもそのおかげで母のような高齢者や子どもたち、障害のある人など、多くの人が楽しめるようになっているのは本当に素晴らしいと思います。
高齢で足腰に問題を抱えた母が、一緒に歩くことはできなくても山へは行きたいというその意欲が、娘として本当に嬉しかった。
心に残る夏になりました。]]>
出かけました
暮らし
turu
2014-08-20T17:15:18+09:00
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女の子、男の子
http://blog.aa-cosmos.com/e377669.html
折り紙のお雛様を作ってみました。
これは体と着物を別々の紙で折って組み合わせたもので、やや難しかったのですが、なかなか姿の美しいお雛様になったと思います。
(夫の治療院の玄関に飾らせてもらいます)
折るという作業もそうですが、女の子の幸せを願う「桃の節句」というのは気持がほっとなごみます。
私は女の子を育てた経験がないので雛祭りなどにも縁がなく、男子ふたりの子育てはいつの間にか体力勝負のうちに終わってしまったと言う感じです。
アトリエで子どもたちと接していると、突然これまでの子育てや自分の子ども時代が記憶のスクリーンによみがえることがあります。
成人した息子たちに何を今さらという感じですが、もう少し親として丁寧な時間の作り方や接し方ができなかったのか思うこともしばしばなのです。
男の子と言うのは母親にとっては「異性」なので、愛しいなかにも違和感があるというか、もともとどこか距離があるように思います。
息子たちにも、小さな事故や事件はたくさんあったけど、とにかく自分で生きていける力をつけてほしいと思うだけで、あまり何かを細かく言うこともありませんでした。
まあ、目の前の仕事や家族の問題でせいいっぱいだったというのが正直なところなのですが。
もしこれが女の子だったら、例えば女性として同じ轍は踏ませたくないと思ったり、自分のできなかったことを託そうとしたり、同性のそしりとでもいうか近さゆえの厳しい視線をお互いに持ったりしたかもしれません。我が事として考える距離感がもっと近かったのではないかと思います。
だからアトリエに通ってくれる小さな女の子たちや、そのお母さんたちに接するのは、私にとってはいろんな発見があります。
小さな彼女たちを通してさまざまな感情を味わいながら、自分自身の子ども時代を追体験したり、お母さんたちの気持を想像したりしています。
もちろん同性として純粋にエールを送りたい気持もあります。
そう、女の子頑張れ~!!です。
人生まだ数年という子どもたち。
この子どもたちが大人になったとき、この国の方向性はいったいどうなっているのでしょう。
みんな少しでも生きやすい場所であってほしいけど、そのために何ができるのか考えながら生きていかねば。
少しでもなにかできれば、と思っています。
昨日、雪の積もった自宅前道路。都知事選の投票にいきました。
これは体と着物を別々の紙で折って組み合わせたもので、やや難しかったのですが、なかなか姿の美しいお雛様になったと思います。
(夫の治療院の玄関に飾らせてもらいます)
折るという作業もそうですが、女の子の幸せを願う「桃の節句」というのは気持がほっとなごみます。
私は女の子を育てた経験がないので雛祭りなどにも縁がなく、男子ふたりの子育てはいつの間にか体力勝負のうちに終わってしまったと言う感じです。
アトリエで子どもたちと接していると、突然これまでの子育てや自分の子ども時代が記憶のスクリーンによみがえることがあります。
成人した息子たちに何を今さらという感じですが、もう少し親として丁寧な時間の作り方や接し方ができなかったのか思うこともしばしばなのです。
男の子と言うのは母親にとっては「異性」なので、愛しいなかにも違和感があるというか、もともとどこか距離があるように思います。
息子たちにも、小さな事故や事件はたくさんあったけど、とにかく自分で生きていける力をつけてほしいと思うだけで、あまり何かを細かく言うこともありませんでした。
まあ、目の前の仕事や家族の問題でせいいっぱいだったというのが正直なところなのですが。
もしこれが女の子だったら、例えば女性として同じ轍は踏ませたくないと思ったり、自分のできなかったことを託そうとしたり、同性のそしりとでもいうか近さゆえの厳しい視線をお互いに持ったりしたかもしれません。我が事として考える距離感がもっと近かったのではないかと思います。
だからアトリエに通ってくれる小さな女の子たちや、そのお母さんたちに接するのは、私にとってはいろんな発見があります。
小さな彼女たちを通してさまざまな感情を味わいながら、自分自身の子ども時代を追体験したり、お母さんたちの気持を想像したりしています。
もちろん同性として純粋にエールを送りたい気持もあります。
そう、女の子頑張れ~!!です。
人生まだ数年という子どもたち。
この子どもたちが大人になったとき、この国の方向性はいったいどうなっているのでしょう。
みんな少しでも生きやすい場所であってほしいけど、そのために何ができるのか考えながら生きていかねば。
少しでもなにかできれば、と思っています。
昨日、雪の積もった自宅前道路。都知事選の投票にいきました。]]>
アトリエ・コスモス
暮らし
turu
2014-02-10T14:35:04+09:00
-
アジサイが美しいです
http://blog.aa-cosmos.com/e347952.html
6月、早いですね。
もう6月です。
緑の勢いも増しアジサイが色づき、梅雨から夏へと移り変わる季節を感じさせます。
治療院「気心庵」の玄関にかざるアジサイを折ってみました。
30センチ四方の和紙で、本を見ながら難しい折り方と格闘しながら折りました。
これは折るのもちょっと手間がいりましたので、出来た時はかなり達成感がありました。
それにしてもこの折り方を考えこの造形を生み出す作者がいるということに驚きます。
日本の伝統の折り紙も進化していて、しかもどこまでも可能性がありそう。
奥が深いなあ。
こちらの折り方は
「折り紙 夢waord」花と動物編 川崎敏和 朝日出版社です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
■6月9日(日) 10:00~12:00
カラダとココロのワークショップ パートⅡ
自分にちょっと戻る時間
アートセラピー×ヨーガ×ボディーワーク
場所:あきゅらいず美養品 森の楽校
参加費:2000円
■アートセラピーワークショップ
「いろんな色と影と光と」
日時:6月21日(金)・6月23日(日)
いずれも午後1:30~3:30
参加費:2000円(お茶と小さなお菓子付き)
会場:三鷹市市民協働センター
上記のお問合せお申し込みは
アトリエ・コスモス 片倉洋子まで
color-y@s7.dion.ne.jp
0422-34-3448
もう6月です。
緑の勢いも増しアジサイが色づき、梅雨から夏へと移り変わる季節を感じさせます。
治療院「気心庵」の玄関にかざるアジサイを折ってみました。
30センチ四方の和紙で、本を見ながら難しい折り方と格闘しながら折りました。
これは折るのもちょっと手間がいりましたので、出来た時はかなり達成感がありました。
それにしてもこの折り方を考えこの造形を生み出す作者がいるということに驚きます。
日本の伝統の折り紙も進化していて、しかもどこまでも可能性がありそう。
奥が深いなあ。
こちらの折り方は
「折り紙 夢waord」花と動物編 川崎敏和 朝日出版社です。
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<お知らせ>
■6月9日(日) 10:00~12:00
カラダとココロのワークショップ パートⅡ
自分にちょっと戻る時間
アートセラピー×ヨーガ×ボディーワーク
場所:あきゅらいず美養品 森の楽校
参加費:2000円
■アートセラピーワークショップ
「いろんな色と影と光と」
日時:6月21日(金)・6月23日(日)
いずれも午後1:30~3:30
参加費:2000円(お茶と小さなお菓子付き)
会場:三鷹市市民協働センター
上記のお問合せお申し込みは
アトリエ・コスモス 片倉洋子まで
color-y@s7.dion.ne.jp
0422-34-3448
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暮らし
turu
2013-06-03T17:59:05+09:00
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絵封筒で癒されて
http://blog.aa-cosmos.com/e346348.html
忙しくしていました。
ちょっと普段と違うペースになるといろいろなことがスムースに進まずブログの更新もままなりません。
アトリエの子どもたちの作品やアップしたいテーマがたまってしまいました。
またこれからすこしづつ書いていきます。
気が急いてしまう忙しさのなかで、知人から届けられる絵封筒と手描きのカレンダーに、ほっと癒されます。
本当に手間ひまのかかる手仕事の中に、遊び心や思いやりがいっぱい詰まっていて、これを届けてもらっている私の知らない他の人たちとも感激をわかちあいたくなります。(ご自分や亡くなったお母様の着物地を使われているそうです)
嬉しい絵封筒です。
ちょっと普段と違うペースになるといろいろなことがスムースに進まずブログの更新もままなりません。
アトリエの子どもたちの作品やアップしたいテーマがたまってしまいました。
またこれからすこしづつ書いていきます。
気が急いてしまう忙しさのなかで、知人から届けられる絵封筒と手描きのカレンダーに、ほっと癒されます。
本当に手間ひまのかかる手仕事の中に、遊び心や思いやりがいっぱい詰まっていて、これを届けてもらっている私の知らない他の人たちとも感激をわかちあいたくなります。(ご自分や亡くなったお母様の着物地を使われているそうです)
嬉しい絵封筒です。]]>
暮らし
turu
2013-05-19T18:11:12+09:00
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「絵封筒」という世界
http://blog.aa-cosmos.com/e338607.html
三鷹に住む知人が送って下さった手紙です。
この封筒、ただの封筒ではありません。
封筒の表ににさまざまな布を使って、その季節の自然や情景を表現した「絵封筒」なのです。
こんな世界があるということを私は初めて知りました。
中に入れるカードや手紙に絵を添えたり、貼り絵をしたりということはあっても、封筒そのものになにか描くなんて思いもよりませんでした。
私たちが普段常識的に行っている「表書き」には、特にきまりや規制はなとく、とにかく宛名が分かって料金分の切手がはってあれば良いのだそうです。それこそ知らなかった!
この封筒をくださった知人は、中に手書きのカレンダーを入れ友人知人や都内の高齢者施設、そして東北の被災地にも送り続けているそうです。
手書きの心のこもったカレンダー。被災地からもお礼の手紙が届いているそうです。
私は昨年2月に仙台でボランティアをした後、被害の大きかった石巻を訪ねました。
そして10月には国や東電の責任を問うため、 「福島原発告訴団・関東」に入会させてもらいました。
あれから2年経ちました。
人は怖いくらい忘却していきます。
「日本の経済のために原発は必要だ」という人たちの言うことを信じず、自分の目と心でしっかりとこの国のことを考えていかねばならないと思っています。
この封筒、ただの封筒ではありません。
封筒の表ににさまざまな布を使って、その季節の自然や情景を表現した「絵封筒」なのです。
こんな世界があるということを私は初めて知りました。
中に入れるカードや手紙に絵を添えたり、貼り絵をしたりということはあっても、封筒そのものになにか描くなんて思いもよりませんでした。
私たちが普段常識的に行っている「表書き」には、特にきまりや規制はなとく、とにかく宛名が分かって料金分の切手がはってあれば良いのだそうです。それこそ知らなかった!
この封筒をくださった知人は、中に手書きのカレンダーを入れ友人知人や都内の高齢者施設、そして東北の被災地にも送り続けているそうです。
手書きの心のこもったカレンダー。被災地からもお礼の手紙が届いているそうです。
私は昨年2月に仙台でボランティアをした後、被害の大きかった石巻を訪ねました。
そして10月には国や東電の責任を問うため、 「福島原発告訴団・関東」に入会させてもらいました。
あれから2年経ちました。
人は怖いくらい忘却していきます。
「日本の経済のために原発は必要だ」という人たちの言うことを信じず、自分の目と心でしっかりとこの国のことを考えていかねばならないと思っています。]]>
暮らし
turu
2013-03-13T15:30:51+09:00
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折り紙、桜と蝶
http://blog.aa-cosmos.com/e337607.html
夫の営む治療院 「気心庵」の玄関に、和紙で折った桜と蝶を飾って春を演出してみました。
こういう少し時間のかかることが出来るかどうかというのは、実は私にとっては心のバロメーターでもあります。
生活や仕事以外で、ちょっと手間がかかったり時間を費やしたりすること。
楽しみでもあるけれど、普段なかなか出来ないこと。
人それぞれあると思うのですが、私にとってはこの折り紙や暮らしのちょっとした雑貨作りなどがそうです。
こういうことができる時は心の調子はいいかな、と思えます。
パーツのひとつひとつを折ったりつないだり楽しみながら、
治療院の患者さまにも春の良い時間がたくさん流れますよう
願いをこめて。
治療院の玄関です。
ちなみにこちらは先月までのお雛様です。
「気心庵」の玄関に、和紙で折った桜と蝶を飾って春を演出してみました。
こういう少し時間のかかることが出来るかどうかというのは、実は私にとっては心のバロメーターでもあります。
生活や仕事以外で、ちょっと手間がかかったり時間を費やしたりすること。
楽しみでもあるけれど、普段なかなか出来ないこと。
人それぞれあると思うのですが、私にとってはこの折り紙や暮らしのちょっとした雑貨作りなどがそうです。
こういうことができる時は心の調子はいいかな、と思えます。
パーツのひとつひとつを折ったりつないだり楽しみながら、
治療院の患者さまにも春の良い時間がたくさん流れますよう
願いをこめて。
治療院の玄関です。
ちなみにこちらは先月までのお雛様です。]]>
暮らし
turu
2013-03-05T11:31:35+09:00
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上野の森、そしてスマホ
http://blog.aa-cosmos.com/e303415.html
出来事をふたつ書きます。
★一つは上野の森美術館で開会中の「日本の自然を描く展」に日本画で出品。
なんとか入選しました。
公募展に出すなんて油絵を描いていた学生時代以来のこと。大きさ10号以下(約53×45センチ)という決まりで、多くの作品がプロ、アマ問わず全国から集まり上野では4期に分けて展示、地方4都市でも巡回展示されます。今回で第25回ということなので、歴史もありますね。
描くのと出品するので精一杯で写真が手元にありません。いずれこのブログ上でも見ていただけるようにしたいと思います。
★スマホが来ました。ついに。
今の携帯は7月で使えなくなるため、買い変えねばならなかったのですが、ずーーーーーっと迷っていてなかなか買えませんでした。従来型の携帯電話にするのか、スマートフォンにするのか、私にそんな情報処理能力があるのか、必要なのか。
スマホ。
三鷹で開かれてる「スマホサロン」にも行きたいと思いながらなかなか時間が合わず、時期せまられてついに買ってしまいました。
覚悟はしてたけど、もはや電話じゃないじゃん!
電源をおとさない小さなパソコンですね。
いろいろ使えるようになるまでかかりそうだけど、なんとかしたいです。
まさに絵を描くのと対極にあるような脳の使い方、楽しくなるまで時間が必要かも。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
アートセラピーワークショップ
内なるエネルギー・コラージュを楽しむ
7月22日(日)
・午前10時半~
・午後1時半~
参加費:2,000円
会場:三鷹市市民協働センター
お問合せ、お申し込み:アトリエ・コスモス
片倉洋子
0422-34-3448
color-y@s7.dion.ne.jp
★一つは上野の森美術館で開会中の「日本の自然を描く展」に日本画で出品。
なんとか入選しました。
公募展に出すなんて油絵を描いていた学生時代以来のこと。大きさ10号以下(約53×45センチ)という決まりで、多くの作品がプロ、アマ問わず全国から集まり上野では4期に分けて展示、地方4都市でも巡回展示されます。今回で第25回ということなので、歴史もありますね。
描くのと出品するので精一杯で写真が手元にありません。いずれこのブログ上でも見ていただけるようにしたいと思います。
★スマホが来ました。ついに。
今の携帯は7月で使えなくなるため、買い変えねばならなかったのですが、ずーーーーーっと迷っていてなかなか買えませんでした。従来型の携帯電話にするのか、スマートフォンにするのか、私にそんな情報処理能力があるのか、必要なのか。
スマホ。
三鷹で開かれてる「スマホサロン」にも行きたいと思いながらなかなか時間が合わず、時期せまられてついに買ってしまいました。
覚悟はしてたけど、もはや電話じゃないじゃん!
電源をおとさない小さなパソコンですね。
いろいろ使えるようになるまでかかりそうだけど、なんとかしたいです。
まさに絵を描くのと対極にあるような脳の使い方、楽しくなるまで時間が必要かも。
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アートセラピーワークショップ
内なるエネルギー・コラージュを楽しむ
7月22日(日)
・午前10時半~
・午後1時半~
参加費:2,000円
会場:三鷹市市民協働センター
お問合せ、お申し込み:アトリエ・コスモス
片倉洋子
0422-34-3448
color-y@s7.dion.ne.jp
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暮らし
turu
2012-07-09T14:21:44+09:00
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年賀状をかたづけて
http://blog.aa-cosmos.com/e203390.html
9日、烏山の御寺へ新年のお墓参りにいき、足を延ばして調布・深大寺へ初詣。
年末の帰省からひととおりのことを終え、仕事や活動の準備もしなければ、とテーブルの上に
出しっぱなしだった年賀状も、ひとつひとつ見なおしながら箱の中へおさめました。
ここ数年、親族以外の個人的な年賀状は50通ほど。とりわけ今年はいただいた年賀状の多くが東日本大震災をうけての想いや、自身の変化や近況を知らせる”あいさつ以上”のものばかり。
「人生には人間関係が大きく変わる時期が2度訪れる」ということを何かの本で読んだことがあります。
たしかに私にも2度ありました。一度目は30代前半。そして2度目は40代半ば。
その2度目の大きな節目から7、8年を経て今年いただいた年賀状は、その人らしい色彩やデザインとともに、私自身の人生の時間や人との結びつきをあらためて思い起こさせてくれるものばかりです。
どれもその人の顔が思い浮かび、いつのまにか心でおしゃべりしている自分がいます。
そう思うと年末年始の忙しいときにたいへんな思いをして書く年賀状も大切なものに思えてきます。
それだけ、歳をとったということなのかな?
年末の帰省からひととおりのことを終え、仕事や活動の準備もしなければ、とテーブルの上に
出しっぱなしだった年賀状も、ひとつひとつ見なおしながら箱の中へおさめました。
ここ数年、親族以外の個人的な年賀状は50通ほど。とりわけ今年はいただいた年賀状の多くが東日本大震災をうけての想いや、自身の変化や近況を知らせる”あいさつ以上”のものばかり。
「人生には人間関係が大きく変わる時期が2度訪れる」ということを何かの本で読んだことがあります。
たしかに私にも2度ありました。一度目は30代前半。そして2度目は40代半ば。
その2度目の大きな節目から7、8年を経て今年いただいた年賀状は、その人らしい色彩やデザインとともに、私自身の人生の時間や人との結びつきをあらためて思い起こさせてくれるものばかりです。
どれもその人の顔が思い浮かび、いつのまにか心でおしゃべりしている自分がいます。
そう思うと年末年始の忙しいときにたいへんな思いをして書く年賀状も大切なものに思えてきます。
それだけ、歳をとったということなのかな?
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暮らし
turu
2012-01-10T12:23:28+09:00