色彩は「もう一つの心の言葉」です。 色は私たちの感情や記憶と深くむすびつきながら日々を豊かに彩り、心身に様々な作用を及ぼしています。色を使った表現を通して心を元気にしたり自分らしさを育てたりするアートセラピーを社会に活かしていきたいと思っています。

大真面目にデッサン、新しいアトリエ?

■アトリエに6年生まで通ってくれて、今、中学1年生の女の子が昨日ひさしぶりに訪ねてくれました。
夕方から個人レッスン
美術の期末テストに、筆記の他に「手のデッサン」があるので教えてほしいというのです。

自由に心のままに創作することを ベースとしているアトリエにとって、これは全く違う方向からのアプローチになります。
よく見て、構造的にとらえて、立体的に陰影をつけて・・・。
時間に限りがあるでしょうから、15分、10分、10分とタイマーをかけて描き進めて完成をめざします。
多少技術的なことも、コツもあるのでそれも解説しながら90分の個人レッスンの終了です。



なるほど、こんなふうにアトリエを使ってもらうこともできるんだ。
中学生の試験対策、初めてだけどひとつの可能性をひろげてくれたような気がして、彼女に感謝し「テストがんばってね」と見送りました。


もちろん普段のアトリエでは子どもたちに「まずはデッサンから」などといっては、心からの表現の流れをせき止めてしまい何のプラスにもなりません。
感覚や感情を伸ばしたい10歳くらいまでは、とにかく自由に表現する楽しさを知ってほしい。
これでいいんだという肯定感を育てて絵や工作を好きになってほしいと思います。
たくさんの素材や画材を用意しているのもそのためです。

でも中学生や大人が上手に描くことを求め、そこに目的や心からの必然性があるのなら「デッサン」にも基礎や訓練といった以上の意味があるかもしれません。


以前「デッサンがしたい」という女性が通ってくれたことがあります。
「なぜ、デッサンなのですか?」と私が聞くと、その方は「実は写真をやっていたので、モノトーンの世界がすきなのです」とおっしゃいました。

黄色といった色が心理的感情を現すとすれば、色のない白から黒へのモノトーンの世界は感情に距離をおいた静かで内省的な世界です。
細い鉛筆の先が線や形をとらえて、ものの存在を浮き上がらせていく過程は、自分の心と向きあう過程と重なります。
色があってもなくても、表現するというのはセルフセラピーであり自己実現のひとつなのだとその方から教わったような気がします。

■そして今日。
アトリエで「ヨーガ」のレッスンの後、アートセラピーワークショップ
わたしも参加している、ひびのゆうこさんの「ふらっとヨーガ」のクラス。
実はいつもの公会堂の和室がとれなくて、そこからほど近い我が家でやることになり、それならアートワークもやりましょうと、ゆうこさんがコーディネートしてくれたのです。
身体もほぐれて心も和んでいい時間でした。



■先週土日は三鷹NPOフォーラム「わの縁日」に出展し活動発表のスピーチをしてきました。


80余りの団体や個人の参加があり、今回もいろんな方と交流できましたが、その中で高齢者のための活動をしているある方からご相談を受けました。
「あなたを(講師として)呼びたいけど活動費が足りない。自分で学んで高齢者むけの造形活動をしたいので教えてほしい」と遠慮がちにおっしゃいました。
もちろん、私でよければとすぐに一回目のお約束の日時を決めました。せっかくのご縁、表現活動に関して役にたつことなら何でもお伝えしたいです。


子どものアトリエとしてスタートして10年。
私も絵は描くけどアーチストではありません。
いろんなことを重ねる中で、自分は表現者でなくやっぱり支援者なのだと最近とくに思うようになりました。