アトリエも春やすみ
さてアトリエはしばらく春休みになります。
ほっと一息でもあり静かにすごしていると、日々のアトリエがいかにエネルギッシュであるかということが逆に鮮明になってきます。
子どもたちの成長のエネルギーのパワーに引き出されるようにして、私自身も成長していってる、そんな感じです。
春といえば出会いと別れがつきもの。
アトリエも4月からの新しい子どもたちを迎える一方、3月で「卒アトリエ」となる子どもたちもいます。
といっても入会も退会もない回数制のアトリエなので、近所であればまたふらっと来てくれたり、夏休みの宿題の相談に来てくれたりします。
だから、すっかりお別れというよりは地域で見守っていく大人のひとりとして、みんなの成長を楽しみに見送っています。
でも、その中のひとり2年生になるS子ちゃんはお父さんの転勤のため遠方へお引っ越しです。
3年間ほんとうにエネルギー全開で通ってくれました。
私にとっては、作品制作だけでなく、お家でのことや幼稚園のことなど、彼女の成長のさまざまなことに触れさせてもらった3年間でした。
時には悔しさや言葉にならない思いをアトリエでぶつけてきて、絵で吐き出すように激しい表現をしたこともあったし、それでもまだ思いが余ってげんこつで私にぶつかってきたこともありました。(痛かった!)
もう、とりあえずこっちも力ずくで抱きしめるしかなかったっけ・・・。
表現することにまっすぐで、子どもが持つ自ら育ち再生していく力を、本当に信じていいと思わせてくれた女の子です。3年間本当にありがとうございました。
遠くへいってもまたたくさん描いたり作ったりしてほしいな、と思います。
最後に描いてくれた桜の木。
これから花咲くS子ちゃん自身のようです。
ほっと一息でもあり静かにすごしていると、日々のアトリエがいかにエネルギッシュであるかということが逆に鮮明になってきます。
子どもたちの成長のエネルギーのパワーに引き出されるようにして、私自身も成長していってる、そんな感じです。
春といえば出会いと別れがつきもの。
アトリエも4月からの新しい子どもたちを迎える一方、3月で「卒アトリエ」となる子どもたちもいます。
といっても入会も退会もない回数制のアトリエなので、近所であればまたふらっと来てくれたり、夏休みの宿題の相談に来てくれたりします。
だから、すっかりお別れというよりは地域で見守っていく大人のひとりとして、みんなの成長を楽しみに見送っています。
でも、その中のひとり2年生になるS子ちゃんはお父さんの転勤のため遠方へお引っ越しです。
3年間ほんとうにエネルギー全開で通ってくれました。
私にとっては、作品制作だけでなく、お家でのことや幼稚園のことなど、彼女の成長のさまざまなことに触れさせてもらった3年間でした。
時には悔しさや言葉にならない思いをアトリエでぶつけてきて、絵で吐き出すように激しい表現をしたこともあったし、それでもまだ思いが余ってげんこつで私にぶつかってきたこともありました。(痛かった!)
もう、とりあえずこっちも力ずくで抱きしめるしかなかったっけ・・・。
表現することにまっすぐで、子どもが持つ自ら育ち再生していく力を、本当に信じていいと思わせてくれた女の子です。3年間本当にありがとうございました。
遠くへいってもまたたくさん描いたり作ったりしてほしいな、と思います。
最後に描いてくれた桜の木。
これから花咲くS子ちゃん自身のようです。
みんな大好き「混色体験」
アトリエで5、6才の子どもたちが絵具を体験し始めると、必ずといっていいほどすることが一つあります。
それは「ただただ絵具を混ぜ合わせる」ということです。
大人の目から見たら「わっ、なんでそんな汚い色にしちゃうの」ということになるのですが、ひたすら混色している彼ら彼女らはおかまいなし。
楽しくてしかたない様子です。
私もこの「ひたすら絵具を混ぜ合わせる」が始まると、「絵具、もったいないなあ」という大人の気持ちをひとまず封印してとりあえず見守ることにしています。
とにかくやっている最中は目が輝いているし、よだれがたらーり出ることもあるし、トイレもがまんして両ももをピッタリくっつけてなにやらぴょんぴょんもぞもぞしたり・・・。
つまり、色と色を混ぜ合わせるということは、それくらい子どもたちを夢中にさせることなのです。
たぶん、幼稚園や保育園ではさせてもらえないこと。でも、やっちゃいけないことほどやってみたいのが正直な気持ち。
私は、子どもたちが色をひたすら混ぜるという「実験」を心行くまですることで、体験的に色を理解し自分なりに使えるようになっていくのだと思っています。
わけなんかわかんなくても、それがなんであっても夢中になれるということ。
それが小さな子どもたちの特権でもあるし、自ら育っていく大切な時間だと思うのです。
この「混色実験」はたいてい一回やれば気が済むらしく、みんな次からはきれいな色や好きな色に戻っていくから不思議です。
だからこそ、必要な通過点なのかもしれません。
5歳女の子の絵。
こちらは、5歳男の子の「混色」した色をつかって描いた絵。
同じ男の子が、その次のアトリエで描いた3枚の絵(昨日)。上から順に「元気な桜」「火と水と紫の花」「いろんなレンガの中のたんぽぽの花」
色に自分なりのイメージが与えられています。
それは「ただただ絵具を混ぜ合わせる」ということです。
大人の目から見たら「わっ、なんでそんな汚い色にしちゃうの」ということになるのですが、ひたすら混色している彼ら彼女らはおかまいなし。
楽しくてしかたない様子です。
私もこの「ひたすら絵具を混ぜ合わせる」が始まると、「絵具、もったいないなあ」という大人の気持ちをひとまず封印してとりあえず見守ることにしています。
とにかくやっている最中は目が輝いているし、よだれがたらーり出ることもあるし、トイレもがまんして両ももをピッタリくっつけてなにやらぴょんぴょんもぞもぞしたり・・・。
つまり、色と色を混ぜ合わせるということは、それくらい子どもたちを夢中にさせることなのです。
たぶん、幼稚園や保育園ではさせてもらえないこと。でも、やっちゃいけないことほどやってみたいのが正直な気持ち。
私は、子どもたちが色をひたすら混ぜるという「実験」を心行くまですることで、体験的に色を理解し自分なりに使えるようになっていくのだと思っています。
わけなんかわかんなくても、それがなんであっても夢中になれるということ。
それが小さな子どもたちの特権でもあるし、自ら育っていく大切な時間だと思うのです。
この「混色実験」はたいてい一回やれば気が済むらしく、みんな次からはきれいな色や好きな色に戻っていくから不思議です。
だからこそ、必要な通過点なのかもしれません。
5歳女の子の絵。
こちらは、5歳男の子の「混色」した色をつかって描いた絵。
同じ男の子が、その次のアトリエで描いた3枚の絵(昨日)。上から順に「元気な桜」「火と水と紫の花」「いろんなレンガの中のたんぽぽの花」
色に自分なりのイメージが与えられています。
桜を描く・パーキンソン病友の会定例会
15日、パーキンソン病友の会の三鷹支部におじゃまし、レクリエーションとしてのアートセラピーを行いました。
毎回定例会で、季節のテーマなどを取り入れた創作を1時間ほど楽しんでいただいています。
今回のテーマは桜。7名の皆さんがそれぞれの桜に想いを馳せて表現してくださいました。
どっしりとした古木、遊び心を感じる若木、堂々たる賢人のような力強い幹・・・一足先に桜満開です。
この日は私は他に用があり、ワークの後早目に退室しましたが、いつもは定例会の最後まで出席させていただき、みなさんのお話に耳を傾けています。
会の活動や、それぞれの生活や治療・お薬などの情報交換のお話から見えてくるのは、現在の医療の様々な問題です。
閉鎖的な医師社会・医療現場のこと、研究されていても認可され患者のもとに届くまでに時間のかかる製薬の問題、お薬の組み合わせの難しさ、
そしてなにより人生を左右するといってもいいくらいの、信頼できる医師と出会うことの困難さ。
必要としている人に、必要なものを。
それがなぜ、こんなに難しいのでしょう。
昨年ノーベル賞を受賞した山中伸弥先生の「ips細胞」は、パーキンソン病の方たちの原因解明や創薬にも大きな可能性があるといいます。
研究、開発が待たれます。
毎回定例会で、季節のテーマなどを取り入れた創作を1時間ほど楽しんでいただいています。
今回のテーマは桜。7名の皆さんがそれぞれの桜に想いを馳せて表現してくださいました。
どっしりとした古木、遊び心を感じる若木、堂々たる賢人のような力強い幹・・・一足先に桜満開です。
この日は私は他に用があり、ワークの後早目に退室しましたが、いつもは定例会の最後まで出席させていただき、みなさんのお話に耳を傾けています。
会の活動や、それぞれの生活や治療・お薬などの情報交換のお話から見えてくるのは、現在の医療の様々な問題です。
閉鎖的な医師社会・医療現場のこと、研究されていても認可され患者のもとに届くまでに時間のかかる製薬の問題、お薬の組み合わせの難しさ、
そしてなにより人生を左右するといってもいいくらいの、信頼できる医師と出会うことの困難さ。
必要としている人に、必要なものを。
それがなぜ、こんなに難しいのでしょう。
昨年ノーベル賞を受賞した山中伸弥先生の「ips細胞」は、パーキンソン病の方たちの原因解明や創薬にも大きな可能性があるといいます。
研究、開発が待たれます。
「絵封筒」という世界
三鷹に住む知人が送って下さった手紙です。
この封筒、ただの封筒ではありません。
封筒の表ににさまざまな布を使って、その季節の自然や情景を表現した「絵封筒」なのです。
こんな世界があるということを私は初めて知りました。
中に入れるカードや手紙に絵を添えたり、貼り絵をしたりということはあっても、封筒そのものになにか描くなんて思いもよりませんでした。
私たちが普段常識的に行っている「表書き」には、特にきまりや規制はなとく、とにかく宛名が分かって料金分の切手がはってあれば良いのだそうです。それこそ知らなかった!
この封筒をくださった知人は、中に手書きのカレンダーを入れ友人知人や都内の高齢者施設、そして東北の被災地にも送り続けているそうです。
手書きの心のこもったカレンダー。被災地からもお礼の手紙が届いているそうです。
私は昨年2月に仙台でボランティアをした後、被害の大きかった石巻を訪ねました。
そして10月には国や東電の責任を問うため、 「福島原発告訴団・関東」に入会させてもらいました。
あれから2年経ちました。
人は怖いくらい忘却していきます。
「日本の経済のために原発は必要だ」という人たちの言うことを信じず、自分の目と心でしっかりとこの国のことを考えていかねばならないと思っています。
この封筒、ただの封筒ではありません。
封筒の表ににさまざまな布を使って、その季節の自然や情景を表現した「絵封筒」なのです。
こんな世界があるということを私は初めて知りました。
中に入れるカードや手紙に絵を添えたり、貼り絵をしたりということはあっても、封筒そのものになにか描くなんて思いもよりませんでした。
私たちが普段常識的に行っている「表書き」には、特にきまりや規制はなとく、とにかく宛名が分かって料金分の切手がはってあれば良いのだそうです。それこそ知らなかった!
この封筒をくださった知人は、中に手書きのカレンダーを入れ友人知人や都内の高齢者施設、そして東北の被災地にも送り続けているそうです。
手書きの心のこもったカレンダー。被災地からもお礼の手紙が届いているそうです。
私は昨年2月に仙台でボランティアをした後、被害の大きかった石巻を訪ねました。
そして10月には国や東電の責任を問うため、 「福島原発告訴団・関東」に入会させてもらいました。
あれから2年経ちました。
人は怖いくらい忘却していきます。
「日本の経済のために原発は必要だ」という人たちの言うことを信じず、自分の目と心でしっかりとこの国のことを考えていかねばならないと思っています。
折り紙、桜と蝶
夫の営む治療院 「気心庵」の玄関に、和紙で折った桜と蝶を飾って春を演出してみました。
こういう少し時間のかかることが出来るかどうかというのは、実は私にとっては心のバロメーターでもあります。
生活や仕事以外で、ちょっと手間がかかったり時間を費やしたりすること。
楽しみでもあるけれど、普段なかなか出来ないこと。
人それぞれあると思うのですが、私にとってはこの折り紙や暮らしのちょっとした雑貨作りなどがそうです。
こういうことができる時は心の調子はいいかな、と思えます。
パーツのひとつひとつを折ったりつないだり楽しみながら、
治療院の患者さまにも春の良い時間がたくさん流れますよう
願いをこめて。
治療院の玄関です。
ちなみにこちらは先月までのお雛様です。
こういう少し時間のかかることが出来るかどうかというのは、実は私にとっては心のバロメーターでもあります。
生活や仕事以外で、ちょっと手間がかかったり時間を費やしたりすること。
楽しみでもあるけれど、普段なかなか出来ないこと。
人それぞれあると思うのですが、私にとってはこの折り紙や暮らしのちょっとした雑貨作りなどがそうです。
こういうことができる時は心の調子はいいかな、と思えます。
パーツのひとつひとつを折ったりつないだり楽しみながら、
治療院の患者さまにも春の良い時間がたくさん流れますよう
願いをこめて。
治療院の玄関です。
ちなみにこちらは先月までのお雛様です。