色彩は「もう一つの心の言葉」です。 色は私たちの感情や記憶と深くむすびつきながら日々を豊かに彩り、心身に様々な作用を及ぼしています。色を使った表現を通して心を元気にしたり自分らしさを育てたりするアートセラピーを社会に活かしていきたいと思っています。

爆笑!「白い恋人」

アトリエでは、作業しながらおしゃべりしたり、いつの間にかみんなで歌を口ずさんでいたりということが時々あるのですが、今週は「白い恋人」をめぐる会話で大爆笑でした。

この日は2年、4年、6年の男子と2年生女子の4人のメンバー。


6年生の男子くんが「白い恋人」というクッキーの空き箱に木切れをいれて、
「白い恋人ですよー。ひとついかがですかー」とおみやげ屋の店員さんのようにして、みんなを相手に遊んでいました。

黒い恋人もありますよー」というので、それは面白いと思って「それってどんな恋人ですかー?」と聞いてみました。

すると「そりゃあ、やっぱり『黒い恋人』ですからねぇ、いろいろ考えていて自分でなんにもやらないで全部おごってもらうとかですよ」という答え。

悲しいとか暗いとかいうイメージではなくて、そっちなんだ。でもいかにもありそう。
聞いてたみんなも「黒い」「黒い」と大喜びで、そこからいろんな色の心理的意味を含んだ恋人が次々にでてきました。


「『白い恋人』はまあ普通の恋人で、『真っ白い恋人』というのもありますよー」
「それは、すぐにあせって頭が真っ白になったり、なんでもすぐに忘れて記憶が無くなる恋人のことですよー」
なんとシリアスでリアルな答えでしょう。そんな恋人だったら大変じゃないですか。
でもそれって、まさに私のことだし。




2年生の女の子も
『黄色い恋人』は光ってるからきれいな恋人ー!」
「 『赤い恋人』は自分が恋人になるんじゃなくて、恋人になりたい人を応援する恋人だよー」とかわいい意見。

そうか赤は、応援したり頑張れって元気づけるイメージなのね。なんだか心があったかくなります。

『茶色い恋人』もなんか言ってたなあ。残念、聞き逃してしまいました。

それにしても一番みんなに受けていたのが『ずるい恋人』。
『ずるい恋人』は浮気したり何人もとつきあったりする恋人のことだそうで、なんどもなんども口にしてみんな笑い転げていました。ちょっと大人でちょっといけない言葉は、子どもたちは大好きで、一旦始まるととエンドレスになってしまいます。

でもこの『ずるい恋人』は何色なのでしょう。考えてみるといろんな色がでてきそうです。

子どもたちの色に対するイメージがとてもユーモラスで、笑いの中にも本当にうなづけるような真実があって、その色彩感覚に感心させられました。

私たちは赤はこういう意味、白はこんな心理と勉強しながら経験をつんできたけど、色に対する子どもたちの瞬発力やいきいきした感性のほうがずっといいなと思った時間でした。私も久しぶりによく笑いました。  


  • Posted by turu at 16:35Comments(2)色彩心理

    好きな色で埋めつくす、という心理

    ちょっと時間ができて、国分寺の小さなアートギャラリーに出かけ、佐藤尚子さんの作品展を見てきました。




    国分寺駅から歩いて15分ほど。今回初めて訪ねた「丘の上APT:兒島画廊」は、トタン板の外壁に、木と漆喰の内装がすてきでとても落ち着く雰囲気で、その名のとおり小高い丘の上の住宅地にありました。

    佐藤尚子さんも丘の上APTも知らなかったのですが、なぜか最近、色彩が無限に積み重ねられているような表現ばかりとても気になっていて、このチラシを友人からもらったとき、どうしても行きたいという思いにかられたのです。

    もともとこういう隙間のない細かい表現は好きではなかったのに、なぜ今魅かれてしまうのだろう。なぜ不思議と目についてしまうのだろう。

    そんな自分への疑問もあって、佐藤さんの作品を通して、自分の気持ちと対話したいという思いもありました。

    鮮やかなピンク系が多く使われた色彩あふれる作品は、色と色が自然に手をとりあってつながっていくような楽しさがあります。
    けれど、すごく細かくて、そこにはあふれ出るエネルギーと、無限に広がる宇宙空間のような強さも感じます。

    この絵にも多用されているピンク系の色は私も好きな色です。
    心理的には「愛情」や「女性性」「幸福感」などとと結びつけられるピンクですが、やや青みがはいったマゼンダつつじ色のようなピンクには強い意志や複雑さが感じられ、より魅かれます。実は私のバッグの中の小物類はほぼこの強いピンク。自分を守ってくれるお守り代わりのような気分です。

    そんなピンクと他の色彩が無限に積み重なる佐藤さんの作品を見ていると、私は今、自分で自分を埋めつくしたいという感覚がある、そのエネルギーを欲しているのではないかという思いが、作品と呼応するように私の中に生まれてきました。

    外からの余分な情報を排し、自分の内なるエネルギーで動いていきたい。外の世界とつながりながら、でも、自分のリズムを最大限整えていきたい。仕事も生活もそういう時期なのかな、と思いました。(ちょっと疲れているのかも)

    「木の芽時」という言葉があります。
    春から初夏へのアップダウンの激しい不安定な気候と、若い芽がいっせいに吹き出す季節。
    負と正のエネルギーが同時に存在する時期です。誰もが不安定になりやすいという自然のリズムに私も影響を受けているのかもしれません。

    そんなことを感じつつちょっと自分との対話をはたし、丘を降りるときには爽やかな気持ちになっていました。

    その時々に魅かれる絵や色調というのは、自分の人生の現在点を語っているといえます。

    絵や色彩との対話は、自分の「今」を知る大事な時間だと思いました。  


  • 写し絵のいいところ

    子どもたちはイラストやアニメのキャラクターをはじめ、動物や乗り物などいろんなものを写し絵にして描くのが大好きです。

    幼児から子どもに成長して行く一年生くらいからでしょうか、乗り物などの形や構造に興味を持ち始め、実物のようなきちんとした形を求め始めます。
    動物や植物の場合もそれは同じで、かわいいネコちゃんウサちゃんではなく、耳は足は尻っぽはどうなっているの?という興味が育ってきます。

    そういう時って、形そのものに興味があるせいか、線画だけでなぜか色を塗ってくれないことが多いです。
    「色も塗ろうよ」とお願いしても「ヤダっ!」でおしまい。
    線で形を明確にする論理的で左脳的な仕事には、情緒や感情の表現である色彩はむしろ邪魔なのかもしれません。




    でもこれも、アニメや映画のキャラクターの写し絵となると、形プラス色もしっかり意識して描いてくれます。
    物語のなかを生きるキャラクターたちには、強い個性や魅力的な表情、それに役割など、感動を誘い自己を投影して心を寄せたくなる要素がたくさんあります。だから形だけでなく色も必要なのですね。






    そんな子どもたちが使う便利な道具がトレーサーです。
    昔はライトテーブルとか呼んでた、上面がすりガラスになった木の平たい箱に蛍光灯が入ったようなもので、手作りしたりもしてました。

    今はそんなレトロなライトテーブルは見かけなくなり(売ってない)、LEDライトの入った薄いスマートな形で、値段も高価になりました。
    スイッチをいれるとライトが光るので、上に素材の絵と紙をかさねて透かして写していきます。


    この写し取るという作業はなぜかすごく集中してしまうようで、どんなおしゃべりな子も静かになります。
    「あれ、なんか静かになったなあ」と思うと「ああ、○○ちゃんトレーサー使ってるのね」という具合です。

    大人の感覚からすると写すのはどっこかラクをしている、絵はちゃんと見て描くのが大事という人もいるでしょう。
    アトリエの親御さんからも、写し絵ばかりしていて絵をお休みしているのでは、と心配されることもあります。

    でも黙って写し絵をしている時の子どもたちは、集中力もさることながら、形に対する興味や知的好奇心がものすごく伸びているのだと思います。
    きちんと形を写すことで、自分の思い込みや描き方のくせが一度きれいにリセットされるだけでなく、形に対する苦手意識がなくなるせいか、その後の、自由表現や観察画も格段に上達していきます。

    だからもし、子どもが何かに興味をもって写しだしたら、マンガばっかり、同じのばっかりでも、どんどんさせて上げてほしいと思います。
    子どもたちのやわらかな脳は刺激をうけて楽しくて、どんどん力をつけているのですから。

    大人の人も何か描いてみたいなと思ったら、まずは写し絵からというのもいいですよ。
    好きな画家や写真などを写しとって色を塗ってみてください。
    案外心のバリアとれて、楽しくなること請け合いです。  


  • Posted by turu at 12:37Comments(2)色彩心理

    突然、絵が描きたくなる時

    いつもは工作が大好きという5年生の男子S君がいます。
    でも、5年生になってからは工作のアイデアもいまいち浮かばないのか、適当に木をボンドでつけてみたり、なんとなくいつも中途半端におわっていました。

    ところが突然、「オレ、絵を描く!」といってここ数回は水彩画に取り組み、しかも、大人びた風景画の作品が連続して描かれました。
    「いいわー、オレ何かいい感じ・・・」と本人もとても満足そうです。

    おおー、絵だ!
    私もなんだか嬉しくなってきます。

    普段工作ばかりという子が、突然絵を描き出すと、こちらの気分も洗われるような新鮮な感動に包まれます。
    それは作品としての変化だけでなく、そこに本人の精神世界の広がりや変化を感じることができるからです。

    5年生といえば高学年になり、いやでもに大人の世界に近づいてきます。
    なんでも無邪気にやっていた低学年と違い、感情も複雑になりさまざまなことに疑問を感じ、言葉などの知的な世界も深まって行く時期です。

    ただどちらかというと、男の子は女の子にくらべて心の成長はゆっくり。
    女の子は身心ともになだらかに成長していき、女性としてだんだん対等になっていく感じがしますが、男の子は精神的にいつまでも甘えんぼで幼い感じがあります。


    S君も、5年になってぐっと背も伸び体は大きくなったけど、どこか幼さを残したままでした。
    普段は陽気で、おしゃべりが止まらないタイプ。

    自分でやる前に「センセー、センセー、センセ―」ととにかく絶えず私を呼んでるようなことも多く、おもわず
    「あのね、もう大きいんだからさ、まずはちょっと自分でやってみよう、試してみよう!」と言うこともしばしばです。

    でも、そんな彼にもきっと心の変化があったのでしょう。

    これまでも、高学年の男の子が急に絵を描きだすことがありました。
    そんな時は、幼く見える一方で、内に秘められた感情や葛藤にに向き合い、きっと何かを感じているのではないかと思います。
    言葉で言えなくても、色彩で表現することを通して、心にあふれるものに一区切りをつけ、ちゃんと成長しているのではないかと思うのです。


    1枚目。とても高い険しい山々が描かれました。どんな思いが込められているのでしょう。


    2枚目。黄昏時の富士山。湖水に映り込む富士と黄色く輝く車のライトがとても繊細に表現されています。(絵ハガキを見て)
    複雑な紫色がやさしく心を癒してくれるような気さえします。
    1枚目の山に比べて、色もかたちもずっと穏やかなものになっているのがわかります。


    3枚目。広い海に美しい岬が描かれました。(北海道の風景写真を見て)
    自立の心が育つとき、自分を大事にしたいとき、青い色は海のイメージとともに無意識の心を支えてくれるのではないでしょうか。



    いずれの3枚も風景で、遠くを見渡す視点で描かれています。
    自分はぐっと手前にいて遠くまで見つめる視線は、それだけ広い世界を客観的に感じているともいえます。
    さわやかな海の絵は見ているだけで解放的な気持ちになります。  


  • Posted by turu at 17:17Comments(2)色彩心理

    青の静寂、赤の熱


    先週のアトリエから-----中学一年生の女の子の作品を紹介します。
    いろんなの組みあわせ。静かな落ち着いた色合いです。


    折り紙の花びらが放射状であることも、背後のブルーのワイヤーの輪も、広がりとともに中心を意識させられる形です。

    「ひとりの時間がいいんだけどなあ」
    と彼女。
    小学生の子どもたちが帰るのを待つようにして、ひとりになるとやっと手が動き出します。

    今は1人がいい。
    中学生はいろいろなことが変化していく時。
    友人、勉強、部活・・・・ぽつぽつと語られる言葉から、「ああいろんなことを考えているのだろうな」と自分にもあった思春期の複雑な感情を思い出します。

    穏やかな青の色合いのなかにも冷静さや静寂、中心へ中心へとむかう内省的な心の動きを感じる作品です。

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    さて、ちょっと一日時間がとれたので、ひさしぶりに映画を見に新宿へでました。
    (呉美保監督、綾野剛と池脇千鶴主演の「そこのみにて光輝く」)

    映画の後、道路の向かい側に新宿花園神社があったので、ふと懐かしくなって寄ってみました。



    それこそ30うん年前、学生時代に、当時まだあった夜行列車(寝台車ではありません)で、東京に出て、一日中、映画や美術展をめぐり、
    そして夕方からはこの花園神社で「状況劇場の紅テント」を観て、また夜行に乗って富山に帰る。そんなことを何度かしていました。

    よくまあ、あんなことができたものだと思うけど、エネルギーも体力も気力もありました。

    そんな思いにひたりながら歩いていると、えっ、まさか本当にあの「紅テント」が・・・。

    驚きました。そうか、今この時期上演しているのですね。知らなかった。

    この日は休演でしたがはっきりと「唐組」の旗が。



    私が観たのは当時「状況劇場」と称していた1980年前後だったでしょうか。

    アングラにあこがれ、とにかく“抵抗” “抗議” “アンチ” “オルタナティブ”そういう言葉に心動かされ、人間の存在について自分なりに必死で考えようとしていた時期でした。
    同世代の友人と遊ぶことをせず、上の世代にあこがれ、ちょっと暗い学生だったかも。
    若いころは、アングラ演劇も現代美術もそんなにわかっているとはいえませんでした。
    それでもなんでも触れていたかったのです。

    色といえば暗い青が好きで、よくそんな色を使った絵を描いていました。
    でも気持は自分の中の、どうしようもできない葛藤や「怒り」でいっぱいでした。
    抑え込む心の色は実は赤、赤、赤・・・だったのかもしれません。

    「紅テント」との思わぬ再会で当時のことが一気に蘇りました。
    でもすでに薄れた記憶と、少しの苦みをともなって、今は鮮やかな赤ではないことがなんとなく救いです。

    それにしても・・・、このテントもくすんだ色で古いなあ・・・。
    まさかあの頃と同じテントだろうか。

    作り変えたりしてないのかしら、と余計なことを考えながら帰ってきた一日でした。