色彩は「もう一つの心の言葉」です。 色は私たちの感情や記憶と深くむすびつきながら日々を豊かに彩り、心身に様々な作用を及ぼしています。色を使った表現を通して心を元気にしたり自分らしさを育てたりするアートセラピーを社会に活かしていきたいと思っています。

ゴールデンウイーク終わりました

ゴールデンウイーク、いろんな所へ出かけた人も多いことでしょう。

私は、先月四月に肺炎で入院の後、無事退院した父と少々看病疲れの残る母を訪ねて富山の実家に帰りました。
めずらしく次男も時間をつくってくれて私と一緒に一泊してきました。

次男は現在東京でイラスト等の仕事をしていますが、富山県生まれの東京育ち。
2歳になる前に東京に来て、富山の記憶がほとんどないものの、出身地を聞かれると「富山県」と答えねばなりません。
次男にすればそのことに少なからず違和感を感じるのか、祖父母のいるこの地域に自分なりの「縁」を感じたいという思いがあるようで、わりと気軽に同行してくれます。

私も富山を離れ、東京暮らしの方が長くなったけれど、東京で富山県の人に会うと、なんとなくその人のことを半分わかったような気分になるから不思議です。あの同じ風景、同じ食べ物を知ってると思うと自然に親しみが湧きます。郷里があるというのはそういうことなのですね。

87歳の父は医者も驚くほどの驚異的な回復力でほぼほぼ元気にしていました。そのおかげか母も頭は以前会ったときよりずっとハッキリ。老いは感じるものの、これならしばらく二人でがんばってくれそうで一安心。脱水症状にならぬよう時間をきめてお茶を飲み、陽の傾く前に近所を散歩するという日課をきっちり守り努力していることに、尊敬の念さえおぼえました。
散歩する両親、もう一人は次男






そして今回はせっかくのゴールデンウイーク。
ちょっと観光もかねて以前から行ってみたかった「富山市ガラス美術館」を訪ねました。


新幹線の整備で駅周辺はすっかり知らない街になってしまうほどの変化のなかで、ここ総曲輪(そうがわ)周辺は、少しはレトロな感じも残るところです。とはいえ記憶のなかの書店も画材店も喫茶店もなかったなあ。あたりまえだけど長い時の流れを感じます。

隈研吾氏の設計デザインの現代的な美術館はなかなかすてきでした。
すこしづつ斜めに6階まで吹き抜けになっている広大なフロアは圧巻です。でも、その高い吹き抜けに足元がなんだかゾクゾク(高い所は苦手なので)。空間を切り取る斜めのラインに五感が刺激されて異空間に踏み入れた感じ。解放感ある広さのなかで、内装の木(羽板)のぬくもりと不思議な「不安定感」を行きつ戻りつする感覚につつまれてしまいました。(私だけ?)




現代は、美術館の建築そのものや、周辺環境も含めて芸術を感じる視点がさまざまに試みられています。
富山市ガラス美術館もガラスを中心に、その外観にたがわぬ、現代的実験的な展示も企画されていくでしょう。

今回は「平山郁夫とシルクロードのガラス展」という企画展で、古代メソポタミア文明からという、紀元前いったい何千年という時代のガラスの器も多数見てきました。
そんな時代からこんな器を作っていたなんて、想像力もおいつかない遥かなはるかな「いにしえ」です。人ってすごい!

街に田舎にいろいろ感じ、両親ともいろいろ語り合うことのできたゴールデンウイークでした。  


  • Posted by turu at 14:32Comments(0)出かけました暮らし

    情報社会、私ついていけるかな?


    今年もアトリエ元気に始まりました。
    冬休みはアトリエもお休みなので、始まるのを楽しみにしていたという声をきくと、嬉しくなります。
    今年もよろしくお願いします。

    アトリエのことではないのですが、年明け早々にちょっとしたトラブルに見舞われました。
    先日突然MACのメールがつかえなくなったのです

    「ああ、新しいサービスに切り替えるよう言ってきてたなあ、苦手意識から何年もそのままにしていたっけ」と落ち込みつつ、あれこれネットで調べるもラチがあかず、サポートセンターに電話しました。

    今使っているMACは2008年購入、2011年には修理の必要もありその時の最新バージョンにアップしています。だから、古いけどまだまだ5年くらいと思っていました。けれど、一般の家電ならまだしも、コンピュータの5年前の機種は消えたも同然、サポート対象の領域にも入ってませんでした。

    「本来は別の窓口をご紹介するのですが・・・、まあ、やってみましょう」とサポーターの方。
    それからマックを立ち上げ、画面を見ながら、最初は固定電話の子機で30分。充電が切れそうになって携帯にかえてから更に約1時間。サポートセンターの方が実に実に辛抱強くあれこれと出来る限りのことを指示、なんとか解決しようと、懸命にリードしてくれました。
    1時間半もですよ!

    何がネックってとにかくソフトも古いので、必要なWEBサイトも相手と同じようには見えておらず、解決するためのソフトがダウンロードできなかったり、指示された選択ポイントが無かったり。
    今使ってるウインドウズのほうが新しいのでそちらで「画面共有」という設定をし、サポーターの手元で私の画面を見ながら教えてくれたり(すごい、そんなことも出来るのね!)、まあいろいろ初めてのことに戸惑ったり感心したり、そしてなんとかアドレスにかかるロックをはずせそうというところまでいっても、私の生年月日がうまく入らなかったり画像認証がなんどもはねられたり・・・で、で、そこまでして・・・・結局、あきらめました。

    サポートしてくれた人も悔しそうに、電話の向こうで唸っていて、なんとか解決しようというその知識とサポーター魂には本当に頭のさがる思いでした。サクサク操作できない中高年と古いMACにつきあうこと1時間半、現在の最新バージョンでないことの壁の数々。

    ネット社会の中で、これからも新しいものはすぐに古くなり、情報もなにも有効な期間はどんどん短くなっていくでしょう。
    そんな時代を私たちは生きていけるのだろうか、不安にかられました。

    一方で、どんなに人口知能が発達しても、こうやってわかんないことはやっぱり人に教えてもらわねばなりません。
    あらゆる年齢のあらゆる立場の人がコンピュータをつかい、トラブルにあうとき、聞いてほしいし説明してほしい。それはどうなっていくのでしょう。

    今回は、これまでのMACのアドレスを使うことをスッパリ諦め、無料のネットメールのアドレスを取って、アカウントを作り直しました。なんだかんだでほぼ一日を費やし疲れました。(諦めたことは気分も変わって良かったです)

    でも困難なことが新年の早くにやってきて早く去ったというのは良いことかも。

    情報が溢れる中、超アナログで、手間ひまかかる自由創作のアトリエの子どもたちを見ていると、ほんとに身体の内側から力が湧いてくる感じがします。自分感覚、自分情報を溜めているように見えます。自分の中の事実だけを積み重ねていく体験は、やがて個としての全体像につながり生きるエネルギーになると信じています。

    今年も子どもたちの作品がとても楽しみです。



    色水遊びをいっぱいした後、描いた作品。一年生の女の子。開放感が味わえたのか明るいです。
      


  • Posted by turu at 16:52Comments(2)暮らし

    ヤングコーンって?

    私は実は料理も好きで、時々新しいレシピや食材にチャレンジしたりしています。

    色どりを考えるのも楽しいし、切ったり煮たりいろいろ変化させてる過程がおもしろいのです。
    食べることが好きだからというのもありますが、私にとっては「子どもの頃の粘土細工」と同じ感覚かもしれません。

    自分の子どもがまだ小さく手のかかる時も、仕事がすごく忙しくて寝る暇もないようなときも、それでも何か作りたいと思ってました。
    今のようにアトリエなどもまだ始めていなかったとき、ホントに、料理というより加工している作業に救われてる感じでした。

    自営業で、若いころは逃げ場のないような感覚に辛くなる時もありました。料理をするというのは、私にとっては堂々と一人の時間と空間を持てるほっとする場だったのかな、とも思います。


    高齢化社会の今、料理をすることは、高齢者の生活の質を上げ認知症予防にもつながると言われています。
    食材の皮をむいたり切りそろえたりという「分解していく作業」と、それらを包んだり煮込んだり味を加えたりという「統合していく作業」がバランス良く脳に刺激をあたえてくれるからだと思います。手を動かすこと、プロセスを考えること、おしゃべりしながら食べることが心理的にもどれほどプラスになるかは言うまでもありません。

    私も、無理のないところで長~く楽しんでいけたらなと思います。

                       yotsubayotsubayotsuba

    先日近所の吉野さんの農園で「ヤングコーン」を売っていたので、めずらしいなと思って買いました。

    実は皮つきのヤングコーンは初めて。

    で、ヤングコーンって普通に売ってる大きなトウモロコシの若芽、摘果だったのね!!
    知らんかったわ~。(^_^;)
    ヤングコーンという別の種類の野菜だと思ってました。
    だってむいてきれいにパックされてるのしか見たことなかったし。

    意外と知らないことだらけの毎日。でもむきたての小さなコーンは甘みもあって本当においしかったです。
    ひげも食べられるそうです。今度はぜひ食べてみたいです。







      


  • Posted by turu at 14:12Comments(2)暮らし

    カラフルでいいな、ランドセル

    陽ざしが温かいなあと思って外にでると、風は思いのほか冷たくて・・・。
    まだまだ寒い冬の日が続いています。

    一方で急激に陽の角度が高くなっていく2月は、冷たさの中にも太陽の光の強さを感じる季節です。

    1月の弱い陽ざしに比べると、木々の枝にも小さなつぼみが並び光溢れる2月は景色の色合いも増す気がします。
    春が待ち遠しいです。


    先日、ランドセル売り場の前を通ったとき、その色の多さに思わず足をとめてしまいました。
    ここ2、3年でしょうか。ランドセルがずいぶんカラフルになってきました。



    私たちの時代も、その子どもたちの時代も、ランドセルと言えば女の子は、男の子はと決まっていました。
    そして特に疑問を感じることもなく「そんなものだ」と思っていたように思います。
    服や靴の色とは違って、ランドセルやお道具箱といった学校使用のものは、そもそも選択できる色に入っていませんでした。

    男だ女だと言う前に、「私」が私の人生の主人公なのだと思っていても、まるで記号のように意味付けされた色や社会的慣習からなかなか自由になれませんでした。
    ランドセルの多様なの色が逆にそのことを教えてくれます。

    色数が多いというのはそれだけ自由の幅もひろがるということ。
    これからの子どもたちが学校という社会に入っていくとき、多少でもランドセルの色を選べるのはとてもいいことだと思います。
    毎日使うものなのだから、せめて気持ちに合う色にできたら、それだけでも心は軽くなるでしょう。

    「早く買わないと好きな色がなくなっちゃうよ」というのはキャラメル色のランドセルを持っている2年生の女の子。
    「私はローズ色」というのは3年生。
    「俺らのときは普通にとかしかなかったような・・・」というのは5年生の男子。
    アトリエでのそんな会話を聞いていると、ランドセルの多色化は、やっぱりここ最近の傾向のようです。

    それにしても黄色系が無いのはなぜでしょう。
    幼稚園や保育園のバッグやリュックによく使われているからかな。
    全体におちついた淡いトーンが多いのも、子どものニーズと言うよりは大人の志向を感じます。

    これから先、ランドセルの色やデザインの幅は今以上に広がっていくでしょうか。
    さまざまな多様性を認め向き合っていくことが大切になっていく社会で、色の選択肢もどんどんひろがっていってほしいと思います。  


  • Posted by turu at 13:09Comments(2)暮らし

    初乗車、北陸新幹線



    北陸新幹線、初乗車です。おもわず子どもみたいにワクワクしてカメラを向けてしまいました。




    これが、新幹線富山駅・・・・。東京からわずか2時間。
    以前の痕跡をなにひとつ残さぬ姿に、過去の記憶のいろいろがかき消されてしまうかのような感覚に・・・。




    体調を崩していた母の様子見に実家にかえりました。意外と元気そうでほっとしました。




    母に杖を買っていきましたが、気持に少し抵抗があるようでした。身体を守るものなので、だんだんに慣れてほしいと思います。




    翌日、ホームで見送りたいという両親をやんわり説得して改札でお別れ。東京へ。




    時代はどんどん進み、地域もこの国もどんどん変わります。
    時間を戻すことはできないから、人生の時間は絶えず「上書き保存」を忘れずに。新たな日々を更新します。
      


  • Posted by turu at 10:35Comments(0)出かけました暮らし