色彩は「もう一つの心の言葉」です。 色は私たちの感情や記憶と深くむすびつきながら日々を豊かに彩り、心身に様々な作用を及ぼしています。色を使った表現を通して心を元気にしたり自分らしさを育てたりするアートセラピーを社会に活かしていきたいと思っています。

観てきました『鬼滅の刃』無限列車編

『鬼滅の刃』無限列車編をスクリーンで観てきました。

アトリエのでも大人気で、子どもたちの作品にもたびたび登場し、高学年や中学生からは「おもしろいからぜひ見きてほしい」とずっと言われていました。
記録的な興行収入を上げ、年代をとわず多くの人の心をとらえるアニメの魅力はなんなのか、今の子どもたちが夢中になる世界の一つなら見ておかなければ、という半ば「仕事」モードの動機もあって出かけました。

いやいや、でもでも、なるほど、なかなか面白かったです!
「鬼退治」というシンプルな筋立ての中で、どの登場人物もほんとに心がまっすぐ!!。みんな自分の「役割」を生きようと真剣そのもの。もともとは人間だった適役の鬼たちの背景や心理描写もそのセリフのひとつひとつからにじみ出るように丁寧に描かれていて、全員主役級の豪華な舞台のよう。

高度な映像美は思わず息をのむほど。今のアニメって凄い、と認識がちょっと変わりました。そのなかに、愛や友情、家族、といったテーマが盛り込まれていて感動的な場面もたくさんあります。

中でも私にとって印象的だったのは、「精神の核」という無意識の世界が描かれるところです。一人一人の潜在意識の世界の色彩表現が本当に美しいのです。「色彩心理」を学んだものとしては、色彩が表現する深い心の世界に引き込まれて見入ってしまいました。

それにしても主人公の竃門炭治郎の泣くシーンはすごく多かったなあ。悲しくて泣き、嬉しくて泣き、悔しくて泣き、怒りに叫び、ふがいなさや愛しさに涙し、そして絶望や喪失感に見舞われ、、、、涙ってこんなにもたくさんの感情があったのかと思いましたし、おもわずウルウルしてしまうことも、、、。

大爆音のなか戦いのシーンはハードで、ちょっと刺激が強すぎて息苦しかったけど、何十巻もあるお話を何も知らない私でも、この2時間は楽しめました。それだけ力のある作品なのだと思います。

アトリエでも子どもたちといろいろ話せるようになり、観てよかったなと思っています。












  


  • 6年生の日本画体験授業

    府中市若松小学校で、6年生の図工の時間に日本画体験授業があり、お手伝いに行きました。

    私が日本画を教えていただいている阿部アヤ先生が担当され、私はアシスタントとして参加させてもらいました。

    若松小学校の図工の大杉健先生は、青いつなぎがとてもよく似合っていて、教務主任も務めながら武蔵野大学にも講義を持ち、ご自身は立体の制作をされるというとてもパワフルな方。言葉のはしばしに子どもたちや美術教育への愛情を感じる先生です。

    日本の文化に触れるというテーマの一つとして企画された今回の日本画体験、大杉先生に案内されてさっそく図工室へ。

    図工室、なんだか懐かしい。
    木の大きな机に四角い椅子。棚いっぱいにいろんなモノが積まれていて、廊下にも子どもたちの作品やなんかがいっぱい置いてあって、その雰囲気だけで、なんだか嬉しくなってしまいます。

    30名ほどの6年生が次々入ってきて着席。

    最初はなんだろうなあという雰囲気の子どもたちでしたが、ひとつの机に集まってもらって、阿部アヤ先生が子どもたちに粉状の岩絵の具や膠(にかわ)を見せたり、実際に小皿に絵の具と膠をいれて指でといてなじませたりすると、みんなの表情が見る間に真剣になっていきました。

    子どもたちにとっては日本画の粉状の岩絵具も膠(にかわ)も初めてなのですね。
    日本画という言葉や画家の名前は知っていても、それがどんなふうに描かれているかというのは、大人でさえ普段なかなか馴染みがありません。

    子どもたちも少量ずつ絵具を小皿に入れてもらい、膠をいれて指でといてなじませるという作業を面白そうにやっていました。




    緑くださーい。」と言う子に、大杉先生が「緑って言う子にはあげないよ。なんて色だっけ?」というと
    「えーーーっと、ろくしょう(緑青)。」

    赤くださーい。」
    「じゃなくて?」
    「えっと・・・・・岩・・・緋?」
    「そう、いわひ、だね。」

    そうそう色の名前も大事です。
    白群、珊瑚末、鶯、柳葉、若葉、紅、山吹、などなど本当に美しい名前がついていると思います。

    みんなとても楽しそうにハガキ大の作品をそれぞれ2枚づつ制作して終了。楽しいあっという間の90分でした。




    今回の若松小学校のように、子どものころに、日本画という自然につながりの深い文化や、時間のかかる手作業に触れることはとてもいい経験になると思います。

    小さい時からスマホがあって、なんでもタッチパネルで済ますのが当たり前な今、AI(人工知能)もますます進化し子どもたちをとりまく環境はどんどん変わっていきます。私たちの子どものころとは、まったく別次元です。自分をゆっくり育てることやしっかりとした自己肯定感をもつことが、今後ますます難しくなっていくのではないでしょうか。

    だから、ちょっと珍しい日本画の画材を体験し、色を味わったことが、なにか心に残ってくれたら・・・きっと今日の体験が生きると思います。

    私たち大人も、子どもたちにいろんな形で日本画のことを伝えていければと思いました。


    終わってから何十年ぶり!?の給食もいただきました。
    おいしかったです。
    ごちそうさまでした。
      


  • Posted by turu at 11:27Comments(2)出かけました日本画

    ゴールデンウイーク終わりました

    ゴールデンウイーク、いろんな所へ出かけた人も多いことでしょう。

    私は、先月四月に肺炎で入院の後、無事退院した父と少々看病疲れの残る母を訪ねて富山の実家に帰りました。
    めずらしく次男も時間をつくってくれて私と一緒に一泊してきました。

    次男は現在東京でイラスト等の仕事をしていますが、富山県生まれの東京育ち。
    2歳になる前に東京に来て、富山の記憶がほとんどないものの、出身地を聞かれると「富山県」と答えねばなりません。
    次男にすればそのことに少なからず違和感を感じるのか、祖父母のいるこの地域に自分なりの「縁」を感じたいという思いがあるようで、わりと気軽に同行してくれます。

    私も富山を離れ、東京暮らしの方が長くなったけれど、東京で富山県の人に会うと、なんとなくその人のことを半分わかったような気分になるから不思議です。あの同じ風景、同じ食べ物を知ってると思うと自然に親しみが湧きます。郷里があるというのはそういうことなのですね。

    87歳の父は医者も驚くほどの驚異的な回復力でほぼほぼ元気にしていました。そのおかげか母も頭は以前会ったときよりずっとハッキリ。老いは感じるものの、これならしばらく二人でがんばってくれそうで一安心。脱水症状にならぬよう時間をきめてお茶を飲み、陽の傾く前に近所を散歩するという日課をきっちり守り努力していることに、尊敬の念さえおぼえました。
    散歩する両親、もう一人は次男






    そして今回はせっかくのゴールデンウイーク。
    ちょっと観光もかねて以前から行ってみたかった「富山市ガラス美術館」を訪ねました。


    新幹線の整備で駅周辺はすっかり知らない街になってしまうほどの変化のなかで、ここ総曲輪(そうがわ)周辺は、少しはレトロな感じも残るところです。とはいえ記憶のなかの書店も画材店も喫茶店もなかったなあ。あたりまえだけど長い時の流れを感じます。

    隈研吾氏の設計デザインの現代的な美術館はなかなかすてきでした。
    すこしづつ斜めに6階まで吹き抜けになっている広大なフロアは圧巻です。でも、その高い吹き抜けに足元がなんだかゾクゾク(高い所は苦手なので)。空間を切り取る斜めのラインに五感が刺激されて異空間に踏み入れた感じ。解放感ある広さのなかで、内装の木(羽板)のぬくもりと不思議な「不安定感」を行きつ戻りつする感覚につつまれてしまいました。(私だけ?)




    現代は、美術館の建築そのものや、周辺環境も含めて芸術を感じる視点がさまざまに試みられています。
    富山市ガラス美術館もガラスを中心に、その外観にたがわぬ、現代的実験的な展示も企画されていくでしょう。

    今回は「平山郁夫とシルクロードのガラス展」という企画展で、古代メソポタミア文明からという、紀元前いったい何千年という時代のガラスの器も多数見てきました。
    そんな時代からこんな器を作っていたなんて、想像力もおいつかない遥かなはるかな「いにしえ」です。人ってすごい!

    街に田舎にいろいろ感じ、両親ともいろいろ語り合うことのできたゴールデンウイークでした。  


  • Posted by turu at 14:32Comments(0)出かけました暮らし

    好きな色で埋めつくす、という心理

    ちょっと時間ができて、国分寺の小さなアートギャラリーに出かけ、佐藤尚子さんの作品展を見てきました。




    国分寺駅から歩いて15分ほど。今回初めて訪ねた「丘の上APT:兒島画廊」は、トタン板の外壁に、木と漆喰の内装がすてきでとても落ち着く雰囲気で、その名のとおり小高い丘の上の住宅地にありました。

    佐藤尚子さんも丘の上APTも知らなかったのですが、なぜか最近、色彩が無限に積み重ねられているような表現ばかりとても気になっていて、このチラシを友人からもらったとき、どうしても行きたいという思いにかられたのです。

    もともとこういう隙間のない細かい表現は好きではなかったのに、なぜ今魅かれてしまうのだろう。なぜ不思議と目についてしまうのだろう。

    そんな自分への疑問もあって、佐藤さんの作品を通して、自分の気持ちと対話したいという思いもありました。

    鮮やかなピンク系が多く使われた色彩あふれる作品は、色と色が自然に手をとりあってつながっていくような楽しさがあります。
    けれど、すごく細かくて、そこにはあふれ出るエネルギーと、無限に広がる宇宙空間のような強さも感じます。

    この絵にも多用されているピンク系の色は私も好きな色です。
    心理的には「愛情」や「女性性」「幸福感」などとと結びつけられるピンクですが、やや青みがはいったマゼンダつつじ色のようなピンクには強い意志や複雑さが感じられ、より魅かれます。実は私のバッグの中の小物類はほぼこの強いピンク。自分を守ってくれるお守り代わりのような気分です。

    そんなピンクと他の色彩が無限に積み重なる佐藤さんの作品を見ていると、私は今、自分で自分を埋めつくしたいという感覚がある、そのエネルギーを欲しているのではないかという思いが、作品と呼応するように私の中に生まれてきました。

    外からの余分な情報を排し、自分の内なるエネルギーで動いていきたい。外の世界とつながりながら、でも、自分のリズムを最大限整えていきたい。仕事も生活もそういう時期なのかな、と思いました。(ちょっと疲れているのかも)

    「木の芽時」という言葉があります。
    春から初夏へのアップダウンの激しい不安定な気候と、若い芽がいっせいに吹き出す季節。
    負と正のエネルギーが同時に存在する時期です。誰もが不安定になりやすいという自然のリズムに私も影響を受けているのかもしれません。

    そんなことを感じつつちょっと自分との対話をはたし、丘を降りるときには爽やかな気持ちになっていました。

    その時々に魅かれる絵や色調というのは、自分の人生の現在点を語っているといえます。

    絵や色彩との対話は、自分の「今」を知る大事な時間だと思いました。  


  • 初めてのジブリ美術館


    早くも暦は2月になってしまいました。先月末は、「調布市文化会館たづくり」や「三鷹市芸術文化センター」に出かけ、この時期開かれている小学校図画工作展を見てきました。

    アトリエからも何人か選ばれているので、子どもたちからも「センセイ、見て来てね!」と言われていました。

    時間をかけてていねいに作られた作品はどれも見ごたえがありました。ただ、材料やプロセスも同じせいか、どの学校も同じような感じの印象になってしまうのは否めません。でもデザイン的なテーマや墨をつかった作品など、いろんなヒントが得られて楽しかったです。


    そしてもうひとつ、「三鷹の森ジブリ美術館」に初めて行きました。長く三鷹に住んでるのに、近いからいつでも行けると思っていたら、ようやく今頃になってしまいました。

    チケットは三鷹駅前の観光協会で。三鷹市民枠があるので、その日に当日分のチケットをゲット。
    以前はこの市民枠で遠方から来る親族や友人のチケットを買ってあげたりしていました。でも、最近は購入者以外の人が使うことや、転売などの行為を規制するため、チケットのすべてに購入者の名前が印字されるようになりました。買った本人が、ちゃんと行ってね!ってことなのですね。あんまり考えないで買ってたなあ。

    でもまあ、とにかくチケットを手にうきうきとジブリへ。門のところに係の人が二人立っており、チケット提示を求められました。それから「お名前をお聞かせください」とチケットと名前の一致を確認。無線のインカムで「三鷹市民枠のお客様ご案内です」とつぶやいて、それでやっと建物入り口まで案内してくれました。

    おとぎの国のような館内は、そこにいるだけで楽しく興味深い展示がたくさんありました。中国人の団体さんや、小学生、幼稚園の子どもたちもいっぱいいてすごくにぎやか。(ちょっとやかましい)

    それでもゆっくり見て、出口ちかくまで来るころには、私の心は不思議ななつかしさと、むしろ地味な味わいに包まれていました。
    子どもたちが喜びそうなアニメ上映や動く展示もあったけど、やっぱり制作過程を再現した部屋やコーナーからは、気が遠くなるような時間の積み重ねが伝わってきます。ストーリー・ボードというおびただしい数のスケッチや、ストーリーにそったラフには圧倒されます。写真や資料の数々や、短くなって持てなくなった鉛筆の山、1000色以上のセル画用の絵の具の瓶、どれもこれもアニメーションをつくる膨大な手仕事を物語っていました。
    そして美しい背景画。美術と呼ばれている背景の絵は、A4やB4くらいの大きさに、ものすごく壮大な山々や美しい風景が描かれており、意外と小さいことに驚きました。そして「削用」や「彩色筆」といった日本画で使うような和筆がずらりと並んでいます。「ああ、こうやってあの美しい背景が描かれたのか」とただただ長~い道のりに感動し、色の美しさにひたるような気持ちになりました。

    もちろん今はコンピュータグラフィックが主流なので、セル画もその絵具も使うことはありません。ほんとうに他の世界同様アニメも進化し続けているのだと思いました。

    あんまり人がいっぱいいたので、ショップに寄るのを忘れて出てしまいました(残念!)。次に行く時はショップもゆっくり見たいと思います。



      


  • Posted by turu at 11:58Comments(2)出かけました